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谷川岳縦走


【日時】 9月8日(金)〜10日 前夜発1泊2日
【メンバー】  宇都宮ハイキングクラブ自主ハイク(L室井武雄、白石晃他)7名
【天候】 8日:夜雷雨 9日:曇り時々雨 10日:晴のち雨

【山域】 谷川連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
平標山・たいらっぴょうやま・1983.7m・三等三角点・新潟県、群馬県
仙ノ倉山・せんのくらやま・2025.2m・二等三角点・新潟県、群馬県
万太郎山・まんたろうさん・1954.1m・三等三角点・新潟県、群馬県
谷川岳・たにがわだけ
 トマノ耳・とまのみみ・1963.2m・一等三角点補点・新潟県、群馬県
 オキノ耳・おきのみみ・
一ノ倉岳・いちのくらだけ・1974.2m・三等三角点・新潟県、群馬県
茂倉岳・しげくらだけ・1977.9m・三等三角点・新潟県、群馬県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢、四万/土樽、三国峠、水上、茂倉岳
【ガイド】 アルペンガイド「谷川岳と越後の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「谷川岳、苗場山、武尊山」(昭文社)

【時間記録】
9月8日(金) 8:30 新潟発=(関越道、湯沢IC 経由)=22:40 茂倉新道登山口  (車中泊)
10日(土) 5:00 土樽発=(茂倉新道登山口、毛渡橋 経由)=5:20 ゲート〜5:47 発―6:08 つり橋―7:56 仙ノ倉谷徒渉点〜8:10 発―10:00 矢場ノ頭―11:56 平標山〜12:30 発―13:20 仙ノ倉山〜13:30 発―13:57 エビス避難小屋―14:36 エビス大黒ノ頭―15:40 毛渡乗越―16:10 越路避難小屋  (避難小屋泊まり)
11日(日) 6:12 越路避難小屋発―7:15 万太郎山〜7:21 発―8:27 大障子ノ頭―8:48 大障子避難小屋〜9:08 発―10:16 オジカ沢ノ頭〜10:25 発―11:10 中ゴー尾根分岐―11:34 肩の小屋〜11:40 発―11:50 トマノ耳〜11:54 発―12:08 オキノ耳〜12:47 発―13:16 ノゾキ―13:54 一ノ倉岳―14:24 茂倉岳―14:36 茂倉岳避難小屋〜14:45 発―15:46 矢場の頭―17:40 茂倉新道登山口

 新潟と群馬の県境部に広がる谷川連峰は、日本海側と太平洋側の異なる気象が合いぶつかることから、2000m 級の標高にもかかわらず、厳しい気象条件にさらされている。急峻な岩壁に囲まれ、多くのクライマーの命を奪った魔の山というイメージが強いが、それは一面にしかすぎず、たおやかな笹原が広がる優しい姿の山という面も持っている。
 古くから首都圏の登山者に親しまれてきた山域であることから、各ピークには登山道が開かれているが、縦走という山行形態も人気が高い。谷川連峰の縦走は、三国山から谷川岳と、谷川岳から白毛門という二つに分けられることが多い。一般に、谷川縦走というと前者をさし、後者は環状縦走と呼ばれることが多い。

 会津の難しい山に誘ってもらっている宇都宮の室井さんから谷川縦走の声がかかった。谷川縦走はまだ歩いていなかったので、即、参加という返事になったのだが、コースを聞いてみると、なかなかの難コースであった、土樽から茂倉新道を登り、谷川岳を経て縦走コースを辿り、平標新道で土樽に下山するというものであった。
 数年前の水害で平標新道は荒廃し、通行禁止状態が続いていた。99年7月23日に平標山に登った時には、平標新道の入り口にはロープが張られ、通行不能の表示が掲げられていた。今年になってから、登山道が整備しなおされたという話を聞いたが、定かではない。二週間前に大原太山に登ったので、下山後に登山口周辺の偵察を行った。毛渡橋の林道入り口には、「平標新道は、屈強にして経験豊かでないと踏破は困難」と書かれていた。この脅し文句によれば、一応は歩けるようであった。林道を3.7km入った所にゲートがあり、車はここまでであった。ゲート前の広場は車で埋まっていたが、どうやら釣り師のもののようであった。毛渡橋から茂倉林道入り口の広場までは3kmあった。宇都宮グループの到着は深夜になるということなので、茂倉林道入り口の広場に集合し、ここでテントを張って休み、翌朝平標新道入り口ゲートに移動するのが、良さそうであった。また、平標新道は沢の徒渉があるので、できたら下山には使いたくはない。結局、最終的な計画では、平標新道を登ることになった。問題は、どこの避難小屋まで辿り着けるかということであったが、これはテントを携行することによって、非常時に備えることになった。
 金曜日の夜、湯沢が近づくにつれ、雷雨が始まった。茂倉林道入り口の広場への道に車を乗り入れると、ススキが倒れかかって道が隠れ、初めてだと、その先に広場があることは判らない状態になっていた。広場も水につかり、テントを張れる状態ではなかった。来る途中で土樽駅を覗いたところ、待合室で一人の登山者が寝ていたが、こちらも駅で寝るしかなさそうで、土樽駅の下まで戻って室井さんの車を待ち受けることにした。予定の11時を少し遅れて室井さんの車が到着した。群馬県では、ものすごい豪雨になっていたとのこと。この後で、高速とJRは不通になったようなので、土樽に到着できたことは幸運であったようである。駅を覗いたところ、待合室は明るくて寝づらそうであった。高速下に乾いた空き地があったので、テントを張ることになった。酒盛りを手短に済ませた後、車とテントに分かれて寝た。
 翌朝は、小雨が残ったものの、雨具は無しでも歩ける天候になった。てばやく朝の準備を整え、茂倉林道入り口に私の車を置いた後、平標新道のゲートに向かった。
 ゲートからしばらくは、沢沿いの林道歩きが続いた。沢は、増水して白く泡だっていた。仙ノ倉谷と毛渡沢の出合いに簡単なつり橋がかかっていた。つり橋の右岸の末端は大きな岩の上に置かれており、岩に埋め込まれたコの字型の鉄棒を足がかりに下りる必要があった。バッキガ平からは、右岸沿いの道が続いた。はっきりした道であったが、昨日の雨のためか、道の上に水が流れる状態のところもあった。新しいガイドブックや登山地図には、右岸沿いに登山道が続くように書いてあったが、途中でガケ崩れのためか、左岸に登山道が付け替えられていた。この徒渉が、第一の難関になった。飛び石伝いに渡れそうな所は見つからず、靴を脱いで水に入るしかなかった。5m程の幅で、水量はももの程度であったが、流れは速そうであった。念のために、ロープを張ることになった。まずは室井さんが、対岸に渡って、ロープを固定した。水に入ると、水圧と足の裏にかかる荷物の重みで、足がなかなか前に出なかった。一同が渡り終えて、ロープを仕舞い終えるには、結構時間がかかった。左岸沿いの河原を、岩に書かれたペンキマークに従って進んでいくと、右岸への徒渉点に出た。水量も減ってきており、今度は、飛び石伝いに渡ることができた。
 再び右岸沿いの道を続けると、ケルンの置かれた仙ノ倉谷徒渉点に到着した。最後の水場ということで、沢の水を飲んでひと休みした。飛び石伝いに対岸に渡ると、樹林帯の急な登りが始まった。木の根を手がかり、足がかりにする、すこぶる厳しい急登であった。それでも1時間少し急登に耐えると、傾斜も少し緩くなって、息をつくことができた。周囲に桧などの針葉樹が目立つようになると、矢場ノ頭に到着した。木の根で歩き難い斜面を少し下ると、ヤセ尾根の上に出て、左手に西ゼン方面の眺めが広がった。高みに向かって突き上げる沢の行方の山頂稜線は、雲に隠されていた。
 周囲に笹原が広がるようになると、相変わらずの登りが続くとはいっても、開放的な気分になった。青空も時折顔をのぞかせ、今年の春に苦労した二居俣ノ頭から日白山の稜線が目の前に広がるのを眺めることができた。新潟県側は晴のようであったが、県境線から群馬県側は、雲で覆われたままであった。ここまでは、雨具を付けずに登ってきたが、風が冷たくなり、雨具の上着を着込むことになった。
 笹原の稜線を辿っていくと、僅かに下った鞍部に湿原が現れた。その上にも湿原があり、天気の良い時なら、山頂まであと一息の開放感に浸ることができる所のようであった。湿原にはガスが流れ、草紅葉が始まりかけていた。その先の急な登りを終えると、ようやく、第一の目標である平標山の山頂に到着した。
 平標山は、これで四回目で、いずれも違ったコースを歩いている。一回目は、スタンダードといえる、松手山から登り平元新道を下山。二回目は、新しく整備された三角山コースを登り、平元新道を下山。三回目は、タカマタギから日白山を経て平標山へ至る雪山縦走コース。そして今回は、平標新道を登り、さらに縦走路へと足を踏み出すことになった。コースと季節が異なれば、それぞれに山の印章は違って同じ山に登ったという気はしない。
 山頂を通り過ぎる風は強く、入れ違いに二人連れが松手山に向かって下っていくと、我々だけの山頂になった。山ノ家方面を見下ろすと、坂の途中でひとグループが休んでいた。風当たりの弱そうな潅木との縁に腰を下ろし、昼の休憩にした。じっとしていると体が冷えて、先週まで、暑さにうだる山歩きをしていたのが、遠い昔のことのように思えた。雨もパラツキ、この先の稜線歩きを思って、雨具の下も履くことになった。
 平標山から仙ノ倉山までは、晴れていれば気持ちの良い稜線歩きなのだが、ここまでの急登で体力は消耗し、ガスで視界は閉ざされているとあっては、足元に転がる石を気にしながら歩き続けるだけであった。緩やかな登りを続けていくと、仙ノ倉山に到着した。平標山から仙ノ倉山まで足を延ばしている者は誰もおらず、どうやら、この先の縦走路は、我々グループだけのようである。谷川連峰最高点ということで、ガスの中であったが、記念撮影を行った。
 仙ノ倉山からは、大きな下りになった。仙ノ倉山は谷川連峰の最高点であるから、その先は下りになるに決まっているが、せっかく得た高度を一気に失うのはうらめしい。仙ノ倉山とエビス大黒ノ頭との鞍部近くにある、エビス避難小屋は、小さなドラム管状で、中を覗くと、2人程がやっとの広さで、中はゴミが散乱していた。外から見ても、焼却炉といった感じだが、余程の緊急時でないと入る気にはなれないものであった。この小屋の前には空き地は無く、テントも張れそうになかった。
 次の目標は、エビス大黒ノ頭であったが、ガスに覆われて、どこがピークか判らなかった。右手が崖状になった小ピークをそう思ってひと休みしたら、その先に、さらに高いピークが現れた。小広場になって、中央に字の消えた金属製の標柱が立つピークが、エビス大黒ノ頭のようであった。この先で、再び大きな下りになったので、現在地を確認することができた。
 下りきった鞍部が毛渡乗越で、川古温泉への分岐になっている。標高1568mの縦走路上での最低点で、仙ノ倉岳からは、460m下ったことになる。この段階で、当初の予定の大障子避難小屋まで到達することはできず、越路避難小屋泊まりということが決まった。大障子避難小屋には水場が無いようなので、川古温泉への登山道を下って水を取りに行くかという相談になったが、全員の水をまとめれば、水汲みは明日の大障子避難小屋の水場で行えばよさそうなので、そのまま先に進むことにした。
 毛渡乗越からは、笹原の中の刈り払い道の登りが続いた。最近刈り払いが行われたようであった。ガスの中から越路避難小屋が現れた時には、ほっとした。越路避難小屋は、ドラム管形ではあったが、エビス避難小屋よりは大きく、中もきれいに清掃されていた。小屋としては小さいが、テントを考えれば、天井も高くスペースにもゆとりがあった。とはいえ、ガイドブックには5人収容と書かれている小さな小屋なので、この小屋を使う予定であったら、先客がいることも考えて、テントの携行は必要であろう。幸い、小屋の前には、大型テントひと張り程度のスペースはある。乾いた衣類に着替えをして、まずはビールで乾杯をした。宴会から夕食へと続けて、早めに寝ることになった。7名では少々窮屈であったが、テントよりは余裕があった。ただ、天井に結露が生じて、場所によっては水滴に悩まされたようである。
 翌朝は、うれしいことに、ガスが流れるものの青空が広がり始めていた。朝食はゆっくりととって、避難小屋を後にした。朝一番の仕事は、万太郎山への登りであった。東俣ノ頭に向かって登っていくと、登山道はその左を巻き、万太郎山の山頂が姿を現した。
 万太郎山の山頂からは、周囲の展望を楽しむことができた。谷川岳から茂倉岳に続く稜線は、まだまだ遥か遠くにあった。仙ノ倉山の山頂は、ガスで覆われたままであったが、笹に覆われた稜線が彼方まで続いていた。赤城山や武尊山、富士山も遠くに見えていた。
 万太郎山からは、笹原の中の急な下りになった。登山道の刈り払いも万太郎山までで、道を笹が覆っているので、足元に注意を払う必要があった。ひとしきり下った所で、右手の谷間に沢が延びてきていた。笹原を少し下れば水を取れそうなので、ここで水を補給することにした。30m程下ると、水が流れていた。昨日から、水を節約していたので、数杯の水を飲み干した。笹原を登り返すのは、楽ではなかったが、距離はそうたいしたことはなかった。水の補給を済ませることができて、気掛かりをひとつ無くすことができた。
 次の大障子ノ頭は、小さなピークではあったが、山頂手前が岩場になっており、足場を確かめながら登る必要があった。ピークの上から振り返ると、笹原に覆われた万太郎山がどうどうとした姿を見せていた。大障子ノ頭から緩やかに下っていくと、大障子避難小屋に到着した。この避難小屋は、15人収容で、縦走路の途中では一番大きく、周囲には数張りのテントも張るスペースがある。中には、高校生らしい二人の子供を連れた中年男性が休んでいた。高速道とJRの不通で予定を変更して、五策新道を登ってきたという。疲れて遅い時間まで休んでいたようだが、家族での難コースの挑戦、なによりも、山に付いてくる子供がうらやましく思えた。
 続けて、オジカ沢ノ頭への登り。右手には俎ぐら山稜が延びて、その間の赤谷川本谷源頭部には美しい笹原が広がっていた。先頭をいく白石さんが、谷間をさして叫んだ。熊らしきものが逃げていったという。急いで振り返ったが、見損なってしまった。登山道が張り巡らされて、熊にとっては居心地の良いとはいえない谷川連峰であるが、俎ぐら山稜一帯は、その中でも大きな空白地帯になっており、熊の住処になっていても不思議はなさそうである。
 登り詰めた俎ぐら山稜との分岐には、オジカ避難小屋がたっていた。大きさは、越路避難小屋より少し小さめといったところであるが、床が傾いており、横になって寝ることは難しそうであった。小屋から少し進んだ所が、オジカ沢ノ頭の山頂になった。谷川岳がようやく目の前に迫り、振り返れば、万太郎山に至る縦走路を一望できる展望の良いピークであった。
 オジカ沢ノ頭からは、左手の新潟県側が切り落ちた痩せた稜線歩きになった。転ぶなら群馬県側へ、という声も、半ば本気であった。中ゴー尾根との分岐を過ぎると、谷川岳への最後の登りになった。肩の小屋も近くに見え、谷川岳の山頂は、蟻がたかるように、人に埋まっているようであった。そう急な登りではないのが、疲れた身にとっては助かった。
 肩の小屋の広場は、行き交う人で大混雑であった。先回の92年の時は、これほど人はいなかった。6月6日の残雪期で、夏山シーズン前であったためか、あるいは最近の中高年の登山ブームによるものか。軽装の者や、新品の登山道具が目に付いた。縦走の大荷物をかついだものは、我々だけであった。なかには、天神尾根の下り口を聞いてくるものも。近くに生っている標識を教えてあげたが、どこから登ってきたのやら。
 トマノ耳は、人で埋まっていた。団体の添乗員が、この辺で昼食とか説明していた。縦走の証拠写真を撮って、早々に先に進むことにした。オキの耳で、昼の大休止にになった。ここまでは、トマノ耳から足を延ばす者もけっこういた。残っていたビールで乾杯。乾いた喉にしみいった。
 再びガスが出てきて、視界は閉ざされるようになった。一ノ倉岳までは、岩尾根が続き、濡れて岩が滑るので注意が必要であった。ノゾキは、のぞいても何も見えなかった。一ノ倉岳へは、急な登りになり、最後の頑張りと力を振り絞った。一ノ倉岳から茂倉山へは緩やかな稜線歩きになった。昼食の時に、遠くに雷鳴らしきものを聞いていたのだが、激しい雨が降ってきた。雨具を着ようと足を止めた時、近くで雷が鳴った。驚いて、身をかがめたが、笹原の広がる稜線で身を隠す所もない。10分程の間に、二発目、三発目の雷鳴が鳴ったものの、幸い、遠ざかっていった。茂倉山の山頂はすぐそこに見えたので、山頂を越してしまうことにした。
 茂倉岳は、今回の縦走における主稜線上の最後のピークであるが、雷に追われて、そのまま通過し、茂倉新道の下りに入った。笹原を下りていくと、茂倉岳避難小屋が現れた。新しい木製の立派な小屋であった。機会があれば泊まってみたいと思うのだが、この小屋を有効に使うコースはちょっと思い浮かばない。昨日泊まった越路避難小屋あたりに、このような立派な小屋があれば、縦走が楽になるのだが。
 下山の時間が気になる頃になり、下りを急ぐことになった。尾根の途中、岩っぽい斜面に、ウメバチソウが群落になって咲いているのが目を引いた。ウメバチソウは、ポツリポツリと咲いているのは良く見かけるのだが、群落になるとは思っていなかった。矢場ノ頭からは、急な下りになった。桧の根が張って非常に歩き難く、辛抱の歩きになった。もっとも、急ごうとしても無理な道でなので、足を前に出していれば、コースタイムとはそれ程変わらないはずであった。高速道の車の走行音が近づいてきて、尾根の末端近くになったことを知ることができた。最後は、粘土質の滑りやすい斜面の下りになった。先回茂倉新道を下った時は、水を切らして、喉の乾きに苦しめられ、このコースは二度と御免だと思ったものだが、今回も、やはりこりごりという感じになってしまった。
 ぎりぎりの時間で、暗くなる前に下山することができた。まずは、室井さんを乗せて、車の回収に向かった。下山後の温泉は、お定まりの岩の湯へ。二日間の汗を流して、ようやく縦走完了の気分にひたることができた。
 谷川縦走は、幾つものピークを越していく、歩きがいのあるコースであった。今度は環状縦走だなと、早くも心は次の山旅に飛んでいった。

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