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越後駒ヶ岳
大源太山


【日時】 8月26日 越後駒ヶ岳 日帰り
     8月27日 大源太山 日帰り
【メンバー】 8月26日 途中から4名 8月27日 単独行
【天候】 8月26日:晴れ後曇り 27日:晴れ後曇り

【山域】 越後三山
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
小倉山・おぐらやま・1378.0m・三等三角点・新潟県
越後駒ヶ岳・えちごこまがたけ・2002.7m・一等三角点補点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/八海山/八海山
【ガイド】 アルペンガイド「谷川岳と越後の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「越後三山・卷機山・守門岳」(昭文社)
【温泉】 大湯温泉・湯之谷村交流センターユピオ 500円

【山域】 谷川連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
シシゴヤノ頭・ししごやのかしら・1472.6m・三等三角点・新潟県、群馬県
七ツ小屋山・ななつごややま・1674.7m・三等三角点・新潟県、群馬県
大源太山・だいげんたやま・1598m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田/越後湯沢/茂倉岳
【ガイド】アルペンガイド「谷川岳と越後の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「谷川岳・苗場山・武尊山」(昭文社)
【温泉】 越後湯沢温泉・岩の湯 300円

【時間記録】
8月25日(金) 19:30 新潟発=(北陸自動車道、中之島見附IC、R.17、小出、R.352 経由)=22:00 大湯公園  (テント泊)
8月26日(土) 5:10 大湯公園発=5:20 駒ノ湯登山口〜5:32 発―6:47 栗の木の頭―7:25 鎖場下―7:56 小倉山〜8:27 発―9:00 百草の池―10:07 駒の小屋〜10:10 発―10:29 越後駒ヶ岳〜11:47 発―11:58 駒の小屋〜12:22 発―12:58 百草の池―13:25 小倉山〜12:38 発―13:59 鎖場下―14:35 栗の木の頭〜14:40 発―15:24 駒ノ湯登山口=(R.352、小出、R.17、湯沢、旭原 経由)=19:30 大源太山登山口  (テント泊)
8月27日(日) 5:15 大源太山登山口発―5:26 丸太橋―5:28 謙信道入口―5:53 水場―7:05 シシゴヤノ頭〜7:15 発―7:59 縦走路分岐〜8:02 発―8:43 七ツ小屋山〜9:00 発―9:03 大源太山分岐―9:53 大源太山〜10:05 発―11:20 ムラキ沢出合―11:35 謙信道入口―11:38 丸太橋―11:48 大源太山登山口=(旭原、湯沢IC、関越道 経由)=16:10 新潟着

 越後三山は、八海山、中ノ岳、越後駒ヶ岳の三つの山をまとめての総称である。これらの三山は馬蹄型に山稜を連ね、中央の水無渓谷に一気に落ち込んでいる。三山の内では、中ノ岳が最高峰であるが、二番目の標高を持つ越後駒ヶ岳が、日本百名山にも取り上げられて知名度も高い。枝折峠からの明神尾根がもっとも利用されているが、駒ノ湯からの小倉尾根コース、水無渓谷からのグシガハナコースといった登山道も開かれている。

 谷川連峰に太源太山という名の山は、二つあり、ひとつは三国山と平標山との間にある河内沢の頭とも呼ばれるピーク、もうひとつは蓬峠と清水峠のに位置する七ツ小屋山から北に延びる尾根上にあるピークで、丸ノ大源太という名前を持っているが、天を突く鋭い山頂をもつことから、上越のマッターホルンの名前の方が知られている。このマッターホルンこと太源太山へは、旭原から登山道が開かれ、一般にはこの登山口からの往復登山が行われている。登山道はさらに七ツ小屋山へと続いているが、太源太山の岩場の通過が困難なことと、縦走路に出てからは、別な登山口に下山するしかないことから、歩く者は少なかった。
 最近、太源太山登山口近くから、「謙信ゆかりの道」と呼ばれる新しい登山道が開かれた。この道は、蓬峠付近から西に延びた尾根上のシシゴヤノ頭に出るもので、湯沢の腰越氏が三年がかりで、かつての旧街道と見られる道を復元したものである。腰越家には、代々上杉謙信が三国山脈越えに使った隠れ道があったと言い伝えられていることから、「謙信ゆかりの道」と名付けられた。
 シシゴヤノ頭は、荒沢山から足拍子山を経て蓬峠付近に至る足拍子尾根の途中にあるピークである。この尾根には登山道が開かれていたが、現在では廃道化して歩くことは困難になっている。「謙信ゆかりの道」の開通によって、旭原登山口―シシゴヤノ頭―七ツ小屋山―太源太山―旭原登山口という周遊コースを歩くことが可能になり、今後利用者が増えるものと思われる。

 インターネットの知り合いが越後駒ヶ岳に行くという。越後駒ヶ岳へは、枝折峠からとグシガハナ経由で登っているが、駒ノ湯からは登っていなかった。駒ノ湯から登り、小倉山で合流という計画を立てた。枝折峠から小倉山へは、2時間40分。駒ノ湯から小倉山へは3時間30分。枝折峠は6時出発というので、駒ノ湯5時半出発で少しとばせばなんとかなりそうであった。
 早朝の出発になるため、前夜の内に登山口近くまで入っておくことにした。高速代の節約のために、中之島見附ICから一般道を走った。どこで野宿しようかと思いながら走っていくと、大湯温泉の交流センター前の公園に広い駐車場があったので、ここでテントを張って寝た。
 目覚ましが鳴らず、起きたら5時を回っていた。急いで、駒ノ湯へと車を走らせた。枝折峠への道を左に分け、駒ノ湯入口を右に見ると、その先が駒ヶ岳登山口であった。車数台のスペースがあった。車を下りると、アブの大群に取り囲まれた。ドアを開けただけで、中に何匹も飛び込んできた。トランクから登山の衣類に朝食、それと殺虫剤を取り出して、いそいで車に飛び込んだ。車の中で殺虫剤を噴霧して、アブを粛正し、着替えをした。殺虫剤の煙のただよう中の朝食は、あまり健康的とは思われなかった。ザックを背負って、一目散の出発になった。吊り橋を渡ると、尾根の登りになった。アブを振り切るため、朝一番から気合いの入った登りになった。30分程歩いた最初の休憩の頃にはアブもいなくなり、落ちついた登りになった。グシガハナ経由で登ったのも8月末であったが、その時は、虫はおらず、アブの事は全く予想もしていなかった。
 尾根の周りにはブナ林が広がり、朝日の木漏れ日が美しかった。急ではあるが、歩きやすい道であった。尾根の途中の小ピークに出ると、コースタイムよりも大幅に短かったが、ここが栗の木の頭のはずであった。アブに追われて、高度計を登山口で合わせるのを忘れていた。帰りに見ると、標柱が倒れており、栗の木の頭と書いてあり、確認することができた。谷の向こうに駒ヶ岳の山頂も望まれるようになったが、まだ遠く、高かった。登りを続けていくと、鎖場が現れた。この鎖場は、三ヶ所続けて現れたが、濡れた岩で滑りやすいものの、そう難しい登りではなかった。鎖場を過ぎると、直に小倉山の北に張り出した肩に登り着いた。ここからはひと登りで小倉山の山頂に到着した。山頂には三角点が置かれており、僅かに下った所が、枝折峠からの登山道との合流点であった。
 小倉山への到着時間は、予想より早かったため、枝折峠からはまだ到着していないはずであった。休憩を兼ねて待つことにした。登山道の行方には、残雪を残した越後駒ヶ岳が朝日に輝いていた。小倉山分岐は、休憩ポイントではあったが、木陰が無いのが休むのに少々辛かった。幾組かのグループが登ってきたが、待ち人では無さそうであった。女性一人と男性二人組のはずであった。そろそろかなと思う頃、賑やかなお喋りと共に、到着した。初対面であったが、ホームページの写真で、顔の雰囲気は判っていた。挨拶を交わして、ひと休みの後、一緒に山頂をめざした。
 小倉山まででのびてしまうかもという、山行前の弱気の発言にもかかわらず、なかなかのハイペースであった。後ろから着いていく方が、遅れ気味になってしまった。また、歩く間も口が止まらないのはたいしたものであった。
 百草の池から傾斜は少しきつくなる。岩稜帯を過ぎると、越後駒ヶ岳の山頂が目の前に迫り、残雪を残した谷を越して、中ノ岳の山頂も眺めることができるようになった。草臥れてはきたが、眺めに元気付けられた。そこからは僅かな登りで、駒ノ小屋に到着した。小屋の前には、ホースから水が豊富に出ていた。思いきり水を飲んだ。暑さもあって、ここまで1リットルの水を消費していた。この水場を期待して、水の節約は考えなかったこともあるが。
 小屋からは、お花畑を眺めながらの登りになった。コバイケイソウ、キンコウカ、ハクサンフウロ、ヨツバシオガマ。夏も終わりであったが、花が少しは残っていた。稜線上のT字路を右に曲がってひと登りすると、越後駒ヶ岳に山頂に到着した。山頂は、登山者で賑わっていた。ガスが出てきて展望は利かなかったが、ガスの切れ間から八海山を眺めることができた。一同で記念写真。
 山頂の人混みを避け、中ノ岳への縦走路に少し入った所で休んだ。のんびり休んで下山開始。駒ノ小屋で、越後駒ヶ岳についての情報を発信している皆川さんに出合い、しばらく山の話をした。インターネットを通じての、人との出合いを感じさせられた山行になった。
 一行とは小倉山でお別れし、一人での下山開始。駒ノ湯が近づいたところで、車の鍵をポケットに用意し、下山の足を早めた。登山口周辺にはアブが飛び回っており、車に飛び込んで、そのまま車を発進させた。下山後の温泉は、駒ノ湯が順当なところであるが、車から出られない状態のため、大湯温泉まで下ることにした。
 大湯温泉・湯之谷村交流センターユピオで入浴し、湯沢に向かった。湯沢の町で夕食を食べ、翌日の食料を買い込んだ。小雨の降る中、太源太山登山口まで入ったが、虫が乱舞する状態で、ここでの野宿は諦めた。旭平の大源太キャニオンキャンプ場まで下りてみたが、夏休み最後の週末とあって混み合っており、花火も打ち上げられる騒ぎで、ここも敬遠することにした。結局、旭平から林道を少し進んだ林道脇の空き地にテントを張って寝た。
 夜間に車が何台も林道を通過していった。翌朝、登山口に着いてみると、6台の車が停まっており、テントも二張りあった。ここで寝ていたら、夜中に到着する車で安眠を妨げられるところであった。
 登山口の登山ポストに記入して歩き出した。しばらく杉の植林地をいくと、北沢に出て丸太橋で左岸に渡った。その先で、「謙信ゆかりの道」という標識が現れた。幅2m程の立派な道が続いた。つづら折りを繰り返しながら、右手のヒロタボ沢の谷の奥に進んでいく、傾斜は緩やかで歩きやすい道であった。周囲にはブナ林が広がっていた。炭焼き道として利用されてきた道なのであろうか。30分程歩いたところで、岩の間から水が流れ出ている水場に出てひと休み。歩き始めて最初の休憩には良い所であった。この先もつづら折りを繰り返しながら、谷の奥に進んだ。高度を上げると、左手にトラバースするようになり、左手に流れる小さな沢に突き当たった所で、急な登りが始まった。稜線部が近くなると、笹原の刈り払いも少し荒くなった。この辺りは、道型が完全になくなっており、新しく切り開いたようである。思ったよりも早い、2時間弱の登りでシシゴヤノ頭に到着した。
 シシゴヤノ頭からは、素晴らしい展望が広がっていた。緩やかに起伏する笹原の広がった稜線の向こうには、武能岳から蓬峠、七ツ小屋山が横に連なり、さらに最終目的地の大源太山が鋭い山頂を見せていた。尾根の下方には、コマノカミノ頭が大きく、足拍子岳はその陰になって隠されていた。遠く高みに連なるのは、一ノ倉岳から茂倉岳あたりであろうか。山々が重なって、峰々を見分けること難しかった。足拍子岳への登山道を探してみたが、入り口は判らなかった。稜線上には、緑の色の変わった線が続いており、登山道が草で覆われて色が変わって見えているようであった。
 シシゴヤノ頭からは、笹の切り口が足元でボキボキ音を立てる、新しい刈り払い道が続いた。周囲の展望も開け、歩いていて楽しい道であった。右手の笹原には、蓬峠へ登ってくる道がジグザグの線になって見えていた。縦走路に出て、ひと休み。土合方面の眺めも広がった。谷川連峰の縦走路に出たが、蓬峠の方に下っていく人影を見送った後は、誰も周辺にはいないようであった。緩やかに起伏する笹原は素晴らしい眺めなのだが、眺める者が誰もいないとは少々もったいない。
 縦走路を北に向かった。小ピークを越すと、湿地が現れ、木道が敷かれていた。今回の最高点となる七ツ小屋山へは、ひと登りする必要があった。七ツ小屋山へは、1995年8月12日の蓬峠越えの際に寄って以来、二度目である。その時は、狭い山頂は登山者で賑わっていたのだが、今回は誰もいなかった。夏の終わりのためか、あるいは一度目は11時、今回は9時前という時間の差によるものか。縦走者はすでに通り過ぎ、麓から蓬峠に登ってくる登山者は、まだ到着していないという時間帯であった。
 大源太山への分岐は、清水峠方面に少し進んだところにある。急な下りが始まった。池ノ平の鞍部を挟んで、大源太山がそそり立っていた。下りの足を止めて、写真撮影をし、眺めに見入った。マッターホルンと称される大源太山であるが、見る方向によって、その姿は異なる。この七ツ小屋山からの下りから眺める大源太山は、山頂付近は岩場が切り落ちて、槍の穂先に似ていた。登ることができるのか、不安を覚えるような眺めであった。鞍部から小さなコブを越すと大源太山の基部に達し、岩場の登りが始まった。ペンキマークは無く、登山者も少なくて靴でこすれた跡もなく、コースを見定める必要があった。迂回路は無く、岩場を真っ直ぐ登るしかないようであった。岩場には、しっかりした足場やホールドはあったが、両脇は切り落ちていた。5m程登ると、その上からは鎖が下がっていたので、緊張感も少し緩んだ。ここの岩には輪環が埋め込まれていたが、鎖は付けられていなかった。取り付きの部分にも鎖が欲しいところであるが、取れてしまったのだろうか。鎖も利用しながら、慎重に岩場を登った。山頂に立つ登山者の姿も目に入ってきたが、緊張の登りが続いた。左に目をやれば、旭原登山口から登ってくる尾根がすぐ脇に見えた。
 大源太山に到着して、大きく息をついた。七ツ小屋山は、遠ざかって高くなっていた。大源太山の山頂には数組の登山者が休んでいたが、旭原登山口からの往復組で、七ツ小屋山への登山道に進む者はいないようであった。大源太山から七ツ小屋山に向かっての下降は、ある程度の岩場の経験が必要になる。この周遊コースを歩くならば、シシゴヤノ頭を先にして、大源太山の岩場を登りにとった方が安全であろう。谷向こうにシシゴヤノ頭を望むことができ、歩いてきた道を目で追うことができた。
 大源太山からの弥助尾根の下山は、足元に注意しなければならない急坂が続いた。振り返ると、大源太山が高く聳えていたが、槍の穂先のような形は崩れて、横に肩をいからせた形に変わっていた。昼近くになって暑い中、登ってくるグループにも多く出会った。ムラキ尾根に入って急な下りを続けると、ムラキ沢出合に下りたち、冷たい水で喉をうるおした。後は、トラバース道を辿れば、「謙信ゆかりの道」入り口を経て登山口に戻ることができた。

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