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不動山、小富士山
天狗原山、金山、雨飾山


【日時】 2000年7月29日(土)〜30日(日) 1泊2日(各日帰り)
【メンバー】 単独行
【天候】 7月29日:晴れ 30日:晴れ

【山域】 西頚山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
不動山・ふどうやま・447.5m・四等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/糸魚川/梶屋敷
【ガイド】 新潟の里山(新潟日報事業社)

【山域】 西頚山地
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
小富士山・こふじやま・241.8m・三等三角・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 富山/糸魚川/梶屋敷
【ガイド】 なし

【山域】 妙高山群
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
天狗原山・てんぐばらやま・219.7.1m・三等三角点・新潟、長野県
金山・かなやま・2245m・なし・新潟、長野県
雨飾山・あまかざりやま・1963.2m・二等三角点・新潟、長野県
【地形図 20万/5万/2.5万】 高田、富山/妙高山、小滝/妙高山、雨飾山
【ガイド】 山と高原地図「妙高・戸隠」(昭文社)

【時間記録】
7月29日(土) 13:00 長岡発=(北陸自動車道、能生IC、越 経由)=2:45 林道終点〜2:55 発―3:05 不動山山頂〜3:10 発―3:19 林道終点=(越、新町 経由)=3:40 高峰プラトー駐車場〜4:00 発―4:07 十字路―4:08 上覚分岐―4:14 小富士山〜4:23 発―4:25 上覚分岐―4:26 十字路―4:31 高峰プラトー駐車場(R.8、糸魚川、R.148、中土、小谷温泉 経由)=18:20 雨飾荘
7月30日(日) 3:34 林道分岐700m地点発―4:17 金山登山口―4:50 台地―5:22 小岩峰―7:12 天狗原山〜7:25 発―8:03 金山〜8:10 発―9:15 茂倉峰―9:35 白倉峰―10:16 大曲〜10:23 発―11:01 笹平分岐〜11:06 発―11:28 雨飾山〜11:37 発―12:00 笹平分岐〜12:10 発―12:50 荒菅沢出合い―13:42 広河原―13:57 小谷温泉休憩小屋〜14:02 発―14:40 雨飾荘―14:49 林道分岐700m地点=(小谷温泉、中土、R.148、糸魚川IC、北陸自動車道 経由)=18:50 新潟着

 不動山は、鉾ヶ岳から北西に延びる尾根の末端部に位置する山である。日本海に近く、北国街道をおさえる要所にあるため、山城が置かれていた。

 小富士山は、海谷山塊の烏帽子岳から延びる稜線が、日本海近くで高度を落として丘陵地帯に変わったところにある山である。 高峰プラトーというキャンプ場を備えた森林公園に隣接しているが、遊歩道としては組み入れられていない。

 妙高山からは西に、火打山、焼山、金山、雨飾山へと稜線が続いている。また、天狗原山は、金山の南に隣接する山である。三つの百名山と一つの三百名山に囲まれて、金山と天狗原山は忘れられた存在になっているが、山頂部にはお花畑が広がり、素晴らしい展望を楽しむこともでき、もっと人気が出ても不思議はない山である。雨飾山から妙高山までの縦走路は、焼山の登山禁止によって、現在では分断されているが、金山から雨飾山までの縦走路は歩く者は少ないが、良く整備されている。

 昨年に続いて金山への会山行が行われ、今年は残雪で花の季節が遅れていることを聞いた。金山から雨飾山までは、一泊が普通かもしれないが、早朝から歩き出せば日帰りで歩けそうであった。土曜日に仕事が入っていたが、花の時期を逸さないために、日帰りを前提として出かけることにした。
 長岡で仕事をすませ、まずは、糸魚川をめざした。半日の暇があるので、上越方面の低山を登ることにして、「新潟の里山」にも掲載されている不動山をめざした。能生ICで高速を下り、日本海に沿ったR.8を暫く走った後に、梶屋敷駅手前の早川橋を渡った所で左折。早川の上流に向かうと、正面に大きな山が迫ってきたので地図を見ると、鉾ヶ岳であった。先回登った時の柵口の裏側から見ていることになる。早川の対岸にピラミッド型をした小山が見えてきて、これが不動山であった。越橋を渡り、不動山城跡の標識に従い、林道に進んだ。林道は、高度を一気に上げていったが、驚くような高い所まで人家が点在していた。雪の積もる冬には車は上がれないと思うのだが、生活はどのようにしているのだろうか。広い駐車場とトイレを備えた不動山農村公園を過ぎ、しばらく走ると、林道の終点に達した。不動山城跡の案内板が置かれ、以下のように書かれていた。

史跡 不動山城跡
■ 自然
 不動山山域は449mの独立峰で、県自然緑地保全地域として指定されたコナラ、アカシデ等の自然林が群生している。前面には早川の急流が広がり、背後側面には犂山、高峰等の山並みが外郭をなし、要害集落のある南の面だけが緩傾斜地で、戦国時代の山城としては絶好の立地条件を備えている。

■ 不動山城
 本丸、二の丸、三の丸、帯郭などで整備され、遺構は、削平地460ヶ所、堀切4、堅堀19、土塁1、石垣8、井戸2が確認されている。大陣貝を吹くと地下人(農民兵)が不動山城へ迅速に招集されたといわれる。
 城は見晴らしがよく、根知城、勝山城が一望でき、狼煙場、鑓研場、馬のり場、千人溜、人切場などの名称も残っている。

■ 不動山城の役割と歴史
 不動山城は、越後守護上杉謙信の家臣山本寺(三本寺)氏の居城で、春日山城の支城のひとつでもある。西は越中を備える勝山城、南は仁科口を備える根知城、清水山城とともに、越中・北信濃との国境警備する重要な役割をもっていた。西頸城、糸魚川の山城の中で規模、築城遺構からみても随一のものである。
 謙信死去による跡目争いの天正六年(1578)御館の乱では、山本寺家は兄弟が敵味方に分かれ、山本寺定長が上杉影虎に加勢したため、上杉景勝の攻撃を受けて敗北、弟孝長が跡を継いだが魚津城での戦いで戦死した。
  糸魚川市教育委員会

 雑木林の中を登っていき、山腹をトラバース気味に進むと杉林の中に入り、ひと登りで不動山の山頂に到着した。山頂にはテレビの中継基地に不動山城跡の石碑、展望図が置かれていた。気温が高いためか遠くの視界は利かなかったが、海谷山塊の烏帽子が向かい合うように聳えていた。山城に相応しい高度感のある眺めであった。
 登山というには物足りない歩きだったので、近くにある小富士山によっていくことにした。隣接している高峰プラトーという名前の森林公園をめざした。公園の駐車場に車を止め、絵看板を見て歩き出した。ファミリーキャンプの脇を抜けていくと、トリムコース沿いの道となり、どうも方向が違っていることに気がついた。駐車場に戻って、スタートのやり直し。トイレの脇に焼却炉があり、その脇に、草が伸びた幅広の道が続いていた。僅か先で尾根の上に乗るとT字路となるので、ここを左折。少し先で月不見の池(至上覚)への道を右に分けて、尾根をそのまま直進した。右に下る道は、中部北陸自然歩道の「A-13月不見の池・大藤の道」のコースの一部のようであるが、森林公園からの入口は判りにくい。尾根通しの道は、道形はしっかりしているものの、夏草をかき分けて歩くようになった。遊歩道を期待していただけに、この薮漕ぎは予想外であった。小高くなった所に石の祠が置かれており、ここが小富士山の頂上のようであった。はっきりしたピークではないため、三角点を探して頂上を確認したかった。地図では、最高点の真ん中に三角マークが記載され、鳥居マークはその先に書かれている。先に進んで見たが、薮が広がっているだけで、祠のような物は無かった。最高点手前に少し戻ると、西側にも石の祠が置かれ、その手前の登山道脇に三角点が草に埋もれていた。2m程の段差は地図に表現されないにしても、最高点の真ん中に鳥居マーク、三角点はその手前に一段下がった所に書くのが正しいと思うのだが。
 低山巡りもここまでとし、糸魚川のスーパーで食料と酒を買い込み、小谷に向かった。雨飾荘の露天風呂駐車場の脇から林道笹ヶ峰・小谷線が分かれ、その先に金山登山口がある。ここのところ、林道は工事のために進入禁止になっていたが、現在では、笹ヶ峰までは抜けられないものの、小谷側からは登山口まで車で入ることができると、先週の会山行の報告で教わっていた。登山口の確認と、金山から雨飾山まで縦走したとして、車の回収のための林道歩きがどれくらいになるのか知るために、林道を偵察した。林道笹ヶ峰・小谷線に進んで、大海川橋を渡ると、未舗装の林道に変わった。谷の奧に進んで、大きくS字カーブを切ると、標識の立てられた金山登山口に到着した。林道入口からは4kmの地点で、登山口手前には、広い駐車スペースもあった。雨飾荘の分岐に戻り、鎌池林道を進んで、雨飾山登山口までの距離を測った。8年ぶりの雨飾山登山口は、雨飾高原キャンプ場となって、広い駐車場も設けられ、すっかり様変わりしていた。ここまでは、2.9kmあった。下山後に炎天下の林道歩きを長くしたくはなかったが、さりとて、登山開始前に林道歩きで時間を費やすのも、あまり得策とも思えなかった。中間点付近が適当のように思えたが、とりあえず、雨飾荘の露天風呂に入ることにした。夕時の露天風呂は、他に一人の入浴客がいるだけで、ゆったりとした気分にひたることができた。体を拭いて服を着る間に、蚊に数カ所も刺されてしまっていた。昼間はアブも飛び回るし、夏場の露天風呂は、風流とはうらはらの覚悟がいるようである。大海川橋を渡って、一回S字を切った先に広場があり、ここにテントを張って寝ることにした。
 翌朝は、未明から歩き出した。前日の偵察のおかげで、登山口の様子が分かっているので、ひたすら歩きに専念できるのが良かった。途中で、車が追い抜いていったが、途中で止まっており、釣り客のもののようであった。
 金山への登山口からは、ブナ林の中のつづら折りの登りになった。明るくなるにつれて、周囲のブナの大木が浮かび上がった。思っていた以上に良く整備された登山道であった。傾斜が緩むと、ブナ立尾根の途中の台地の上に出た。ここには水場があることになっていたが、ミズバショウの生えた湿地はあったものの、水の流れる沢のようなものを期待していたためか、それと気が付かずに通過してしまった。再び急な登りに汗を流していくと、1741mの小岩峰に出た。崖の縁に出ると、山中をうねうねと伸びる林道を見下ろし、乙見峠から南に伸びる稜線を眺めることができた。乙見峠からの稜線は、松尾山、柳原山を経て堂津山に続いている。この稜線には登山道の破線は記入されているが、整備されてはいないために通行困難と登山地図には書かれている。薮漕ぎ覚悟なら、乙見峠から松尾山あたりまでなら歩けるかもしれない。気になる山がまた増えた。
 登山道は沢状の窪地の中を登るようになった。窪地を埋める残雪も薄くなって落ちかかっているため、足場を探すのに苦労した。窪地の途中で枝分かれするので、テープによって正しいコースを見定める必要があった。窪地を過ぎたあたりから、キヌガサソウの群落が現れるようになり、写真撮影のために足が止まるようになった。正面にピークが見えて、これが山頂かと思ったが、1949mピークのようで期待は外れた。ガレ場の縁に出ると、谷は残雪で白く染まり朝日に輝く白馬連峰の展望が開けた。ガレ場の周辺もお花畑になり、タカネナデシコやシロバナヤマホタルブクロを見ることができた。ホタルブクロは、赤紫色の物が主だと思っていたのだが、上村さんに話すと、越後の山では白花の方が多いと言っていた。赤紫色のホタルブクロは、結構目にしていると思うのだが、どこと言われると思い出せない。うっそうとしたオオシラビソに囲まれた道を進むと、ようやく天狗原山への登りになった。
 展望が開けてお花畑の広がる草原に出ると、ここが天狗原山の山頂であった。小さな石仏がお花畑の中に置かれていたが、古いものではなさそうで、周囲の雰囲気とは合っていなかった。登山道は、稜線を一段下がったお花畑の中を横切るように付けられていた。妙高山から火打山、焼山にかけての素晴らしい展望が広がっていた。特に焼山は、北海道のニペソス山を思いださせるような、先の尖った三角形の山頂を見せていた。登ってみたいが、登山解禁の日はくるのだろうか。
 お花畑には、ハクサンコザクラ、チングルマ、シナノキンバイ、ハクサンチドリが咲き乱れていた。長い登りであったが、この眺めとお花畑で、疲れも吹き飛んだ。
 天狗原山の山頂には三角点が置かれている。お花畑に足を踏み入れる訳にはいかないので、下降に移る所からハイマツの中に足を踏み入れたが、山頂部はかなり広くて、どこに埋まっているか見当もつかないので、三角点捜しはあきらめた。
 天狗原山からは、一旦下った後に、金山への登りになる。天狗原山からの下り付近は、枯れ草で覆われ、雪解けから間もないようであった。金山への登りにかかると、沢状に水が流れており、雪解けの冷たい水で喉をうるおすことができた。その上部には雪田が広がり、これが源になっているようであった。年によって、この雪田の残っている時期は異なるようであるが、山頂近くの水場は有り難かった。
 雪田を過ぎると、神の田圃と呼ばれる湿原地帯となる。踏み跡を辿って、湿原をつっきることになる。他の山なら保護のために木道が敷かれているような所なので、踏み跡が広がらないように、各人が注意しなければならない。湿原は枯れ草色で、その中に、ハクサンコザクラの紫の花が散らばっていた。花の時期としては、もう少し後の方が良かったようである。
 残雪の縁をトラバースしながら進むと、金山の山頂に到着した。山頂手前で単独行に追い抜かれており、一人占めの山頂とはならなかった。富士見峠に向かって縦走路が続くのを目で確認することができたが、実際に先週歩いた話を聞くと、所々で薮が深い所があり、富士見峠から先の焼山に向かっての道は完全に無くなっているとのことであった。
 山頂での眺めを楽しんだ後、雨飾山への縦走路に足を踏みいれた。思ったよりも良い道が続いていた。最近刈り払いを行ったようで、登山道の上を刈り払われた笹の枝が覆っているところもあり、足元に注意する必要があった。雨飾山を遠くに望むことはできたが、全般的には、樹林によって囲まれた展望の利かない道であった。シゲクラ尾根の長い下りが続いた。僅かに登り返して小ピークに出たのが、尾根の名雨にもなっている茂倉峰のようであったが、そう目立つようなピークではなかった。ガスが出て雨飾山の山頂は隠されるようになっていたが、ガスの切れ間から見える鋸岳のピークが近づいてきた。風が出始めて、暑さも和らいできた。白倉峰や黒沢峰といった小さなピークを越していくと、雨飾山から鋸岳へ続く稜線に向かっての登りになった。鋸岳への分岐となる大曲は、稜線から一段下がった窪地で、傍らには沢が流れる水場になっていた。この水場は遅い時期まで、涸れる心配は無さそうで、1泊縦走の際には、ここが泊まり場になりそうであった。
 分岐を直進すると、笹平までは300mの高度差の急な登りが始まった。コースを通して一番の、辛い登りになった。ようやく傾斜が緩んで笹原に飛び出すと、小谷側からの登山道の分岐に飛び出した。時間的にも、ここまで順調に歩き通すことができ、これで周遊も問題は無さそうなので、ひと安心した。
 ガスと強風の中、沢山の登山者が登ってきていた。笹平周辺にもお花畑が広がり、アカバナシモツケソウやハクサンフウロ、タテヤマウツボグサの花が風に揺れていた。笹平を進んで、雨飾山への最後の登りに取りかかった。岩角を足がかりにするような急登で、渋滞の起こりやすい所であるが、すれ違う人はそう多くは無かった。狭い雨飾山の山頂は、強風の中、昼食をとる登山者で埋まっていた。石仏の並んだ西峰の方に戻って、ひと休みした。ガスの切れ間から、白馬方面の眺めが一瞬開けた。
 笹平の分岐に戻って、ひと休みした。それにしても、金山からの静かな道を歩いてくると、雨飾山は人が多いのが気になった。標高は2000mにも足らず、決して交通の便も良いとはいえないこの山のどこが人を引きつけるのだろうか。布団菱の岩壁や、山頂からの展望。確かに素晴らしいものがあり、百名山のネームバリューだけとは考えたくはない。一番大きいのは、雨飾山という、優雅な名前が人を引きつけるのかもしれない。金山という平凡な名前では、人は集まらないだろうが、それはまた、静かな山を愛するものにとっては幸いなことでもある。
 下りにかかると、太陽が顔をのぞかせ、金山へと続く稜線を眺めることができるようになった。金山から天狗原山にかけての稜線が横に広がり、その左に焼山が頭を覗かせていた。振り返ってみると、なかなかの距離があった。岩っぽい登山道を足元に注意しながら下っていくと、荒菅沢出合いに下り立った。沢は残雪に埋まり、その上に布団菱の岩壁が聳えていた。先回訪れた紅葉の盛りの眺めとは違った美しさがあった。緩やかに登っていき、尾根を乗り越す所で、雨飾山の山頂を望むことのできる撮影スポットがある。雨飾山の山頂に別れを告げ、ブナ林の中の下りを急いだ。
 登山口の休憩所に戻り、自動販売機のジュースを買ってひと息いれた。他の登山者とは違って、もうひと頑張りする必要がある。車をめざして、暑い車道歩きを続けた。車の置き場所としては、丁度良い位置を選んだようである。車に戻ってまずは露天風呂に向かい、一日の山行を思い出しながら、汗を流した。
 
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