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乳頭山から笹森山
三ッ森山


【日時】 2000年7月21日(金)〜23日(日) 前夜発1泊2日(各日帰り)
【メンバー】 7月22日 乳頭山から笹森山 東北の山MLオフミ6名
【天候】 曇り後雨

【山域】 秋田駒ヶ岳周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
乳頭山・にゅうとうさん・1477.5m・三等三角点・秋田、岩手県
笊森山・ざるもりやま・1541.0m・三等三角点・秋田、岩手県
湯森山・ゆもりやま・1471.7m・三等三角点・秋田、岩手県
笹森山・ささもりやま・1414・なし・秋田県
【地形図 20万/5万/2.5万】 秋田/雫石/国見温泉、秋田駒ヶ岳、篠崎
【ガイド】 アルペンガイド「東北の山」(山と渓谷社)、山と高原地図「八幡平、岩手山、秋田駒」(昭文社)

【山域】 笹森丘陵
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
三ッ森山・みつもりやま・412.1m・一等三角点本点・秋田県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新庄/浅舞/浅舞、老方
【ガイド】 分県登山ガイド「秋田県の山」(山と渓谷社)、秋田の山歩き(無明社)

【時間記録】
7月21日(金) 17:20 新潟発=(R.7、本庄、R.105、角館、R.46 経由)
7月22日(土) 0:45 田沢湖駅着  (車中泊)
7:50 田沢湖駅発=(R.341、田沢湖スキー場かもしか駐車場 経由)=8:37 黒湯駐車場〜8:44 発―8:51 孫六温泉登山口―10:04 田代岱分岐〜10:16 発―10:23 田代岱山荘―10:57 乳頭山―10:43 笊森山北分岐―12:04 千沼ヶ原〜12:55 発―13:14 笊森山南分岐―13:20 笊森山―13:48 宿岩―14:19 湯森山―14:37 乳頭スキー場分岐―14:40 分岐―14:44 笹森山―14:47 分岐―15:03 沢横断点―15:10 秋田駒ヶ岳八合目=16:30 黒湯駐車場  (黒湯泊)
7月23日(日) 9:30 黒湯発=(R.341、田沢湖駅、R.46、角館、R.105、大曲、R.13、横手、R.107、大沢)=12:10 出羽グリーンロード登山口〜12:22 発―12:31 ふるさと林道三ッ森山登山口―12:37 相生の松―12:47 六郎石―12:59 分岐―13:11 三ッ森山〜13:20 発―13:29 分岐―13:31 金峰神社奥社〜13:36 発―13:39 分岐―13:47 六郎石―13:56 相生の松―14:00 ふるさと林道三ッ森山登山口―14:07 出羽グリーンロード登山口=(大沢、R.107、本庄、R.7 経由)=20:40 新潟着

 烏帽子岳は、秋田駒ヶ岳の北に位置し、その間には縦走路が整備されている。烏帽子岳は岩手県、乳頭山は秋田県側の呼び名で、それぞれ山頂の形に由来しているという。秋田県側の登山口である乳頭温泉は、秘湯ブームで賑わい、全国にその名が知れ渡っていることから、乳頭山の方がメインの名前になってしまうかもしれない。秋田駒ヶ岳は、日本百名山ではないが、花の名山として人気が高く、一帯にははお花畑が広がり、またこの縦走路からわずかに下った所に千沼ヶ原(せんしょうがはら)という美しい高層湿原を有している。

 東北登山MLで、中野さんから森吉山の桃洞沢への誘いの声が掛かった。二日目の沢は参加者に経験装備等の制限があったが、一日目に皆で尾根歩きを楽しもうということで、目的地の選択を任された。東京方面からのアクセス、森吉山への移動、花の盛りということを考えて、乳頭山から千沼ヶ原のコースを選んだ。乳頭山へは孫六温泉から入るとして、下山のコースをどうするか迷った。秋田駒ヶ岳は、花の季節ということで混雑が予想されて近寄りたくはなかったのだが、乳頭スキー場へのコースは、地元の橋本さんの情報では、藪がかぶっているとのことで、乳頭山から秋田駒ヶ岳八合目へ縦走することにした。コースタイムでは、少し余裕は乏しいものの、秋田駒ヶ岳八合目の最終バスには充分間に合うはずであった。
 集合は、横浜からの高速バスを利用する中野さんと高橋さんを出迎えるため、田沢湖駅に朝の8時ということになった。新潟から田沢湖までは、順調に走っても7時間以上はかかるため、前日の夕刻、早めに家を出発した。日本海沿いに北上して本庄から内陸部に向かうコースも何度か繰り返しており、順調に走り通すことができた。途中の適当な所で寝るつもりであったが、結局、田沢湖駅の駐車場まで走り込むことができた。
 駐車場に入ると、宮本さんがすでに到着しており、朝になってみると、木村さんも到着していた。橋本さんも朝の時間前、夜行バスも少し早めに到着し、早めに登山口に向かって出発することができた。まず、バスの乗り場になる田沢湖スキー場かもしか駐車場に車二台を置いて黒湯温泉駐車場に移動した。
 駐車場から坂を下っていくと鄙びた木造建築の孫六温泉の前に出て、その先に田代平への登り口があった。ブナ林の中の登りになった。傾斜もそう急ではなく、歩きやすい道であった。高度を上げていきオオシラビソの林が広がるようになると、田代岱の分岐に到着した。木道の上に腰を下ろしてひと休みした。
 途中で薄日が射したものの、ガスが流れるようになり、視界は閉ざされていた。先回乳頭山に登った時は、田代岱の避難小屋を眼下に眺めることができたことからすれば、ここからは乳頭山の眺めも良さそうなのだが残念である。ガスの中に、ニッコウキスゲの黄色が鮮やかに浮かびあがっていた。
 木道の分岐から僅かで、田代岱の避難小屋に出た。しっかりした作りの立派な小屋であった。ここからは、山頂めざしての登りが始まった。ガスの中から人影が現れて、乳頭山の頂上に到着したことを知った。山頂の崖の縁には、立ち入り禁止のロープが張られていた。先回は、山頂の大きな石の上に腰を下ろしてひと休みしたのだが、どうも雰囲気が変わっていた。風が冷たく、展望も無いことから、先を急ぐことにした。
 少し下った滝ノ上温泉への登山道入口には、昨年の地震のために林道が不通になっているため、通行できないとの注意書きが掲げられていた。乳頭山の下りから、ヨツバシオガマ、ミネウスユキソウ、ハクサンシャジン、ハクサンチドリ、ウサギギク、トウゲブキ等のお花畑が広がるようになった。笊森山の手前から、千沼ヶ原へのトラバース道に入った。途中で、残雪の残る沢の横断があり、ミズバショウやヒナザクラの花を見ることができた。
 天気が悪いためか、千沼ヶ原には、思ったよりも人が少なかった。ガスのために、木道周辺の湿原しか見えず、奧は霞んでいた。木道の上に腰をおろして、昼の休憩にした。ここで、ついに雨が降り始め、雨具を着ることになった。ひと休みの後で、湿原の奧まで歩いてみた。ニッコウキスゲが花の盛りで、トキソウやイワイチョウの花も見ることができた。
 千沼ヶ原から笊森山へは、急な登りになる。眼下に広がる千沼ヶ原の眺めが素晴らしい所なのだが、ガスでなにも見えなかった。先回の時は、朽ちた木の段々で足元が不安定だったが、遊歩道並みに整備された登山道に変わっていた。息が切れることを別にすれば、歩きやすい道であった。
 笊森山から笹森山の間は、コースタイムは2時間弱になっており、かなりの距離があるのにと疑問を持っていた。本降りの雨のために先を急いだこともあったが、緩やかな稜線が続き、登山道は良く整備されており、コースタイムよりもさらに短い時間で歩いてしまった。登山道の周囲にはお花畑が広がり、晴れた日ならば、写真撮影で足が止まってしまいそうであった。
 縦走路は、笹森山の下を通過しているが、踏み跡が山頂に続いていたので寄っていくことにした。笹森山の1414mの標高は、東北の山としては立派なものである。狭い刈り払いの山頂からは、ガスのためになにも見えなかったが、ともあれ登頂。途中の斜面のお花畑が美しかったことで良しとしよう。
 笊森山からは、歩幅の合わない段々の下りになり、沢を横断してひと登りすると、秋田駒ヶ岳八合目の駐車場の脇に飛び出した。バスも待っており、飛び乗ってすみやかに下山に移ることができた。
 黒湯の駐車場に戻り、黒湯で下山後の入浴とした。翌日の沢は、雨のために無理そうであった。森吉山のキャンプ場泊まりの予定であったが、この雨では、気が進まなかった。温泉の人に聞くと、自炊・寝具無しなら、2000円とのことで、黒湯に泊まることになった。食料と酒は、田沢湖駅近くのスーパーまで買い出しに出かけた。自炊部門の建物は、年期の入った木造で、山の後で泊まるには相応しいような感じがした。鍋やフライパン、食器なども備え付けがあり、山用のガスコンロを使って調理を行った。メインは、炒め物に稲庭うどん。調理にあたっては、すっかり高橋さんの世話になってしまった。六人に二部屋もらったが、寝袋のため、部屋はガラガラであった。
 寝る前にも温泉に入り、翌朝雨が降っているのを見て、再び朝風呂。完全に湯治場モードになってしまった。「みちのく百山百湯」という本があるが、その本でも、乳頭山と黒湯の組合せで載っている。今回は、雨のために計画変更が生じたが、東北の山と温泉を充分に楽しむことができた。
 桃洞沢は、月曜に順延ということになったが、私は仕事のために、別れることになった。もっとも、このまま家に戻るつもりはなく、途中で空模様をながめて、どこかの低山に登るつもりであった。山を下りて、角館付近まで戻ると雨は上がった。ガイドブックを見ると、横手からR.107に進むと、一等三角点峰の三ッ森山があり、時間的にも手頃そうであった。
 ガイドブックに従い、大沢小学校入口から狭い道に入り、金峰神社参道前を通過して、相生の松の入口を探しながら進んだ。立派な二車線幅の「出羽グリーンロード」に飛び出して、どうも様子が変わっていることに気が付いた。T字路を右に進むと公園があり、そこの看板を見ると、左に行くようであった。T字路を左に曲がった少し先に、ようやく三ッ森山の標識を見つけることができた。路肩に車を止めて歩き出した。荒れた林道は、草が茂って、人の歩いている様子は無かった。尾根の上に出て、ここは高い方へということで左折。少し先で、立派な舗装された林道に飛び出して驚いた。林道脇には、三ッ森山登山口の標識が立てられていた。この林道のおかげで、いままでの登山道が短縮されてしまっているようである。この林道がどこに通じているかを下山後に確認すると、最初の登り口の先に入口がある「ふるさと林道三ッ森山線」が上ってきていた。
 結局、この登山口に至るには、「R.107の大沢集落から出羽グリーンロードに入り、ふるさと林道三ッ森山線に進むと左手に三ッ森山登山口の標識が現れる。」ということになる。
 擬木の段々を登り、山道をしばらく行くと、根本から二つに分かれた「相生の松」が現れた。樹齢350年程で、天然記念物とのこと。周囲には、大ぶりの山百合が咲いていた。その先は、幅の広い道が続いた。その途中、民話の残されている六郎石が現れた。その謂れは、次のように書かれていた。
 「昔、沼館城主小野寺氏の美しい姫を一目見た山男の六郎は、嫁にもらいたいと懇願した。城主はからかい半分に、庭の大石を一晩で上法寺山山頂に運ぶことができたら、姫を与えると約束した。太縄でこの石背負った力持ちの六郎が夜明け前には山頂に着きそうであったので、家来たちが鶏の鳴き声をまねたところ、六郎は夜が明けたと思い、石を投げ捨て、無念のあまり石を蹴りあげて八塩山へ逃げ去ったという。
今も太縄の食い込んだ跡や蹴り上げた跡が残っている。」
 これと良く似た伝説は、福島県の矢大臣山にも、長持石として残されている。こちらは、「夜明け前に長持ちを山頂にあげると、陸奥の富士山になると告げられた老夫婦が、大きな長持をかつきあげ、ここまで来たところ一番鶏が鳴き、突然長持が割れて石になった。」というものである。ただ、六郎石は、伝説にもかかわらず、どこにでもありそうな大きくは無い石であった。
 時間もあまり余裕はないことから登りを急いだ。稜線の上に到着すると、道が左右に分かれた。左は金峰山ということであったが、まずは、三ッ森山をめざした。この先はこれまでの道とは一転して、草が被り気味の登山道に変わった。特に、伐採後の杉の植林が稜線まで延びてきているところでは、道が不明瞭になっていた。
 三ッ森山の頂上に到着すると、木立の中に石の祠が置かれ、そこを左折した先で一等三角点の置かれた広場に出た。傍らには、苔蒸した天測点が置かれていた。
 天測点は、国土地理院が、地理上(地図上)の地点と、天文測量に於ける経緯度測量の差違(原点では0)を調べる目的で、全国の主要地点(主として一等三角点本点)に設置されている(一等三角点のすべて 新ハイキング社)。新潟周辺では、弥彦山の三角点脇にもあるが、そう多いものではない。
 見晴らしも無く、一等三角点が見所のような山頂であった。分岐に戻り、金峰山によっていくことにした。植林地きわに、しっかりした道が続いていた。三ッ森山よりは、金峰山をめざす者の方が多いのかもしれない。杉木立に覆われた中に、金峰神社(本殿)があった。傍らには爺杉、婆杉といった注連縄の付けられた古木が立っていた。金峰山は、山頂らしピークではなく、宗教的な山号を意味するもののようであった。愛宕神社、御手洗清水という標識が立てられていたが、その先は夏草に覆われていた。
 少々迷う所もあり、そのおかげで、達成感のある山登りになった。ともあれ、山登りを済ませ、後は新潟までの長いドライブを頑張ることになった。

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