0038

大里峠、榎峠から榎山


【日時】 2000年6月25日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 飯豊連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
大里峠・おおりとうげ・470m・なし・新潟県、山形県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/小国
【ガイド】 越後佐渡の峠を歩く(新潟日報事業社)、ウォーキングガイドV、LATERNE vol.5

【山域】 飯豊連峰周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
榎峠・えのきとうげ・180m・なし・新潟県
榎山・えのきやま・240m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/小国/安角
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:30 新潟発=(R.7、新発田、R.290、R.113、沼、若ぶな高原スキー場、畑 経由)=8:44 林道終点〜8:54 発―9:07 柄目木(茶屋跡)―9:30 大里峠〜9:38 発―9:58 柄日木(茶屋跡)―10:09 林道終点=(畑、若ぶな高原スキー場、沼、R.113 経由)=10:45 榎峠入口〜10:50 発―11:04 榎峠―11:16 榎山〜11:25 発―11:32 榎峠―11:45 榎峠入口=(R.113、関川桂の湯、R.290、〆切、紫雲寺、聖籠IC 経由)=14:00 新潟着

 朝日連峰と飯豊連峰は、荒川によって分けられている。現在では米坂線や国道113号線が通る荒川沿いは、かつては越後と米沢を結ぶ交通の要所であったが、赤芝峡をはじめとする難所が続いて道を付けることができず、内陸部を切り開いて、村上から羽前小松の間を十三の峠で結んだという。この十三峠街道は、出稼ぎや物資の運搬に使われていたが、現在ではその役目が終わって、忘れられた峠道になっている。

 十三峠は、上村氏によれば、大里峠、桜峠、萱野峠、朴ノ木峠、子持峠、黒沢峠、宇津峠、極楽峠、九才峠、熊谷大峠、榎峠、貝渕峠、諏訪峠とのことであるが、はっきりとはしていないようである。

 大里峠は、岩船郡沼集落から山形県小国町玉川集落へ通じる峠道で、峠には、大蛇伝説が残され、現在ではその伝説に由来するお祭りが開かれている。
 榎峠は、十三峠の一番端に位置する、岩船郡沼集落から鷹巣を結ぶ峠道である。この峠の北にあるピークを榎山という。

 新潟山形県境の大里峠は、飯豊山塊の一画にあり、訪れてみたいと思っていた。わかぶな高原スキー場の入口から、標識に従って大里峠への林道に進んだ。未舗装の林道は一車線幅で、運転に注意する必要があった。途中でログハウスが現れ、こんな山奥にと驚かされた。杉林の中を抜けると、伐採地が広がる谷間に出て、コンクリート製の廃虚が現れた。ここが、畑鉱山跡のようであった。かつては銅山で働く人で賑わったようである。道も荒れてきたので、ここの広場に車を置くか迷ったが、もう少し頑張ることにした。その先僅かで、林道の終点に到着した。ここは、車を奧のに充分な広場になっていた。地図を見ると、頭上を通過している送電線(関川小国線)は記載されておらず、新しいもののようであった。
 大里峠を示す標識に従って、沢沿いの道に進んだ。沢を右手に見ながらの緩やかな登りが続いた。沢を丸太橋で渡ると、二俣の中尾根の登りになり、傾斜も少しました。傾斜が緩むと、茶屋があったという柄目木に出た。左手には、若ぶな山の山頂が高く見えていた。展望も開けて、ちょっと一服という感じであったが、送電線の鉄塔が目障りであった。前方を横切る稜線の低くなっているところが峠のようであったが、もう少し谷の奧に進む必要があった。結局、そうたいした登りもなく、大里峠に到着した。
 左右は山の斜面が続き、前後の眺めも得られない切り通し状の峠であった。草が短く刈られた広場には、お堂が置かれており、中をのぞくと、石仏に、赤ん坊の涎掛けや前掛けがかぶせられていた。どうも安産祈願のためのようであった。
 この峠には、大蛇伝説が残されている。お堂の脇の看板には、
「昔々のその昔まだ関川村という名もついていない頃、女川の蛇喰いというところにおりのという人妻ががいて、ある時蛇の味噌漬を食べたたまえ蛇身となりここに棲みつき荒川一帯を泥の海とする計画をたてたが、蔵の市というびわ法師に悟られ、村人に退治されたという伝説が今に伝えられている。」と書かれていた。
 大里峠からは南北に県境線が続いている。北の若ぶな山方面には、送電線の巡視路が上がっていた。南は、エノカッチ、沼山を経て大境山に通じている。南の薮をのぞいたが、踏み跡は見あたらなかった。歩くとすると残雪期をねらうしかないが、その時は、山形県側の玉川から入った方が、林道歩きが短くてすみそうである。別な機会に、山形県側からこの峠にあがってみることにしよう。
 下山の途中、女性の二人連れに出会い、林道でも二台の車にすれ違ったことからすると、この大里峠までのハイキングコースは、結構人気があるようである。
 沼の集落に戻ったところで、榎峠の入口を探した。沼川と小綱木川の合流点の南側で左岸に渡る橋があり、送電線の巡視路と刈り払い道が続いていた。ここには、おそらく、榎峠の入口だろうと思ったが、標識が見あたらなかったので、鷹ノ巣側に回ることにした。国道脇に榎峠入口の標識が立っているのに、以前から気にかかっていた。
 榎山トンネルを抜けた所の榎峠入口の看板の前の路肩に車を停めた。地図では、尾根の末端部の沢が取り付きのように書かれているが、少し場所が違っていた。看板の脇の急な斜面を、階段登りで尾根の上に出た。緩やかな道が続き、谷の奧に進むに連れて、国道の車の走行音も背後に遠ざかった。山の斜面を巻きながら登っていくと、榎峠に到着した。この峠も切り通し状であった。沼の集落寄りには、石仏がさみしげに置かれていた。
 峠の北側に向かって踏み跡が続いていた。峠の北側のピークは、地図には名前は書かれていないが、下を通過する国道のトンネルの名前にも使われている榎山と呼ぶようである。そうたいした高度差もないので、榎山にも登っていくことにした。木の枝を頼りにする急な名登りで始まった。木立に覆われているが、踏み跡は明瞭で、尾根も痩せており、赤布は必要としなかった。
 ひと登りでピークの上に出ると、驚いたことに、展望広場という金属ポールの先にプレートが取り付けられていた。見ると、左右に、丸太の段々が施された遊歩道らしきものが、下っていた。ただ、草が伸び放題になっており、廃道状態であった。少し下ってみたものの、この道を下山路にとる気にはなれなかった。荒川が北に曲がって、岬状に張り出した先が万木山公園と呼ばれる公園になっているようで、そこに通じているような気がするのだが、どうなのだろうか。展望広場という名前に相応しく、沼の集落や若ぶな山から県境稜線の眺めが広がっていた。
 時間も早かったが、温泉に入って汗を流し、昼寝をするために家路についた。

山行目次に戻る
ホームページに戻る