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五百山、鬼倉山


【日時】 2000年5月7日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 長岡東山連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 五百山・ごひゃくやま・716m・なし・新潟県
 鬼倉山・おにくらやま・617m・なし・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 長岡/長岡/半蔵金
【ガイド】 五百山:新潟の低山薮山 鬼倉山:なし

【時間記録】6:40 新潟発=(北陸自動車道、中之島見附IC、R.8、長岡、R.17、中沢、森立峠、八方台 経由)=8:30 大入峠手前〜8:38 発―8:46 林道入口―9:16 670mピーク―9:35 五百山〜9:43 発―9:56 670mピーク―10:28 林道入口―10:37 610mピーク―11:06 鬼倉山〜11:26 発―11:59 林道入口―12:09 大入峠手前=(栖吉、R.352、往路を戻る)=14:10 新潟着

 長岡の東に広がる東山連峰は、八方台や鋸山へのハイキングコースが設けられ、多くの登山者に親しまれている。五百山と鬼倉山は、鋸山への大入峠登山口のある林道真木半蔵金線を挟んで北側に並ぶ山である。五百山の山頂には石碑が置かれ、かつては信仰の山であったようであるが、現在ではこの両山とも薮に閉ざされている。

 4月末から5月の連休にかけて厳しい山行が続いた。連休最後の日は、時間もそうかからない薮山を訪れることにした。東山連峰は、稜線部を林道が通っているため、軽いハイキングの山というイメージがあるが、いろいろなガイキングコースが設けられ、忘れられているような薮山もある。4月始めに大峰山に登ったので、これも気になっていた五百山と鬼倉山を登りに出かけることにした。
 八方台経由で、五百山と鋸山を眺めた後、林道真木半蔵金線に向かった。鋸山に登ったのは、95年の同じ5月始めのことであった。その時と同じに、鋸山登山口手前の駐車帯から先の林道は、残雪に埋まっていた。木々は芽吹きの緑におおわれ、道路脇の湿地にはミズバショウが咲いていた。
 鋸山登山口を通り過ぎると、左手に鬼倉山の前衛ピークが迫ってきたが、標高の高い五百山を先に登ることにした。大入峠の標識を見て、林道を左に下っていくと、左手に「山どめ」の看板の立てられた林道が現れた。この林道に入るとすぐ先で右に踏み跡が現れたので、これに従って五百山に向かった。しばらくははっきりした道が続いたが、残雪もあり、山の麓で踏み跡は見あたらなくなった。山の斜面を真っ直ぐに登り、尾根に出たところで左に曲がった。以前は炭焼き山であったのか、細いブナが目立ち、歩くのもそう難しくなかった。イワウチワが、一面に花をつけていた。ピークの上に出て、あっけないと思ったら、山頂はまだ先であった。この先の尾根の薮はひどくなり、つるをはらい、潅木の枝を一歩ずつ跨ぎ越す必要があった。登り坂になると、比較的歩きやすくなった。
 五百山の山頂は、雪の小広場になって、鋸山の山頂が木立の上からのぞいていた。雪は、中央部で2m程の厚さはあるようで、「新潟の低山薮山」に書かれているような、石碑を見ることができなかった。
 登り口の林道に戻り、鬼倉山へどこから登ろうか考えた。とりあえず、林道を先に進んでみることにした。残雪に覆われた林道を少し下ると、左手から残雪に埋まった沢が入り込んできた。傾斜もあまりないので、この沢を辿ってみることにした。残雪を歩いていくと、鬼倉山の手前のピークの直下まで上がることができた。潅木の薮漕ぎでピークの上に立った。稜線通しの踏み跡を期待していたのだが、それらしきものはなかった。潅木の間から鬼倉山の山頂を確認してから、薮を進んだ。細い枝を左右に広げた潅木が多く、歩くのに苦労した。五百山よりも、こちらの薮の方が手強かった。鬼倉山の山頂までは、標高差はほとんど無かった。
 鬼倉山の山頂も雪原が広がっていた。北側には、棚田の眺めが広がっていた。この山は、北側の里から見てこそ、はっきりした山の形を見せるのであろう。遠望が利けば守門岳方面の展望も開けているのだろうが、春霞がかかっていた。雪原の上に腰を下ろして、昼食とした。ただ、ボーットしている山頂もいいものである。帰りは、前衛ピークを登り返すのが面倒になって、鞍部から登りに使った雪原めざして薮を下った。
 推薦マークの山という訳ではなかったが、残雪と新緑で美しい時の山を楽しむことができた。
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