0030

くさいぐら尾根から北股岳


【日時】 2000年5月3日(水)〜5日(金) 2泊3日
【メンバー】 武田猛志、池田憲一、岡本 明
【天候】 3日:曇り 4日:雨のち吹雪 5日:晴

【山域】 飯豊連峰
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 ならのき峰(草衣倉)・ならのきみね(くさいぐら)・1088.4m・三等三角点・山形県
 烏帽子岳・えぼしだけ・2017.8m・三等三角点・新潟、山形県
 梅花皮岳・かいらぎだけ・2100m・なし・新潟県、山形県
 北股岳・きたまただけ・2024.9m・三等三角点・新潟県、山形県
 門内岳・もんないだけ・1887m・なし・新潟県、山形県
 扇ノ地神・おうぎのじがみ・1889m・なし・新潟県、山形県
 梶川峰・かじかわみね・1692.3n・三等三角点・山形県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/飯豊山/長者原、飯豊山
【ガイド】 すかり(飯豊連峰特集号)、新潟の低山薮山

【時間記録】
3日(水) 5:00 新潟発=(R.7、新発田、R.290、大島、R.113、横根、玉川 経由)=6:48 梅花皮荘入口〜7:05 発―8:21 天狗平〜8:36 発―9:09 温身平〜9:18 発―10:47 816mピーク―13:40 ならのき峰手前のピーク〜13:54 発―14:40 岩場〜14:50 発―15:32 1200m付近  (テント泊)
4日(木) 6:05 発―7:30 雪の尾根(1320m付近)―11:45 主稜線―12:17 烏帽子岳―12:47 梅花皮岳―13:05 梅花皮小屋  (小屋泊)
5日(金) 7:03 梅花皮小屋発―7:30 北股岳〜7:53 発―8:52 門内岳〜9:14 発―9:43 扇ノ地神〜9:56 発―10:32 梶川峰―12:19 1021mピーク〜12:35 発―13:35 天狗平〜13:54 発―15:00 梅花皮荘入口=(往路を戻る)=18:05 新潟着

 飯豊連峰の山形県側の主要な登山口のひとつに、飯豊山荘のたつ天狗平がある。ここからは、丸森尾根、梶川尾根、石転び雪渓、大ぐら尾根の各登山道が開かれて、多くの登山者に利用されている。くさいぐら尾根は、梅花皮川と桧山沢に挟まれ、梶川尾根と大ぐら尾根の間に位置し、烏帽子岳に突き上げる尾根である。くさいぐら尾根には登山道は無いことから、残雪期を選んで登ることになる。

 山の名前には、それだけで登頂意欲をそそられるものと、そうでないものがある。「くさいぐら」尾根という名前は、あまりひびきの良いものでなく、それだけで損をしているかもしれない。「くさいぐら」のくらは、岩場のこととわかるものの、「くさい」とはどのような漢字を当てはめるのだろう。藤島玄氏の「越後の山旅」の概念図では、かな表記になっている。尾根の途中の1088.4mピークは、昭文社の登山地図では、ならのき峰となっているが、ここに置かれている三角点の点名は、「草衣倉」と記載さている。したがって、「草衣倉尾根」と表記するのが正しいように思われる。しかし、その意味を考えれば、草を被った尾根ということになる。名前からして、薮漕ぎ必至ということでは、これまた歩こうとする者は余程の好事家ということになろうか。
 峡彩ランタン会の次期冬山合宿は、梶川尾根から北股岳を予定している。雪のある時期にこのコースを下見に歩く必要があり、リーダーの武田さんから、くさいぐら尾根を登り、北股岳を越して梶川尾根から下るという山行計画が出された。私が飯豊の主稜線に登っているのは、六月の花の時期からで、五月連休の準冬山時期には登ったことが無かった。少々不安なところもあったが、参加させてもらうことにした。五月の連休ということで、会でも、矢筈岳他の多くのグループ山行が計画されており、くさいぐら尾根組は、冬山リーダーとサブに、ヒラの私の三名の参加者になった。
 雨という天気予報が出ていたが、曇り空の下、池田さんの車で山に向かった。国道113号線から別れて玉川沿いの道に入ると、木々の芽吹きの下の残雪が多くなった。梅花皮荘入口の路肩の広場に車を停めた。数台の車がおかれており、飯豊方面の入山者もいるようであった。天狗平方面の道は、すぐ先で雪に閉ざされていた。共同装備の分配を行い、出発の準備を整えた。歩き出すと、ザックの重さが足にこたえた。連休前半の土日に、会津の山を1泊縦走で歩いており、体調が回復しているかが不安になった。道の上には、倉手山から落ちてきた雪がデブリとなって積み重なっていた。恐る恐る山腹を見上げると、雪は落ちきって、雪崩の心配はなさそうであった。足早に歩く武田さんに引きずられて、1時間少しで天狗平に到着した。飯豊山荘の前にはホースで水が引かれており、乾いた喉をうるおすことができた。山荘前の丸森尾根への登り口を見ると、残雪の上には歩いた気配は見つからなかった。少し先の梶川尾根登山口にも最近の足跡は見あたらなかったが、温身平の石転び雪渓方面には足跡が続いていた。この季節は、石転び雪渓経由の登山者がほとんどのようであった。
 梅花皮沢をコンクリート橋で渡ったところが、くさいぐら尾根の末端となる。温身平の美しいブナを眺めながらひと休みした。尾根を見上げると、尾根上からは、雪が完全に消えていた。薮漕ぎの覚悟を決めて、尾根の左手から取り付いた。幸いというべきか、尾根の上にははっきりした踏み跡が続いていた。鉈目を見ると、そう古いものではなさそうであった。問題のない尾根歩きではあったが、右下の歩き易そうな梅花皮沢の雪原がなかなか遠ざからなかった。もう少しで816mピークというところで、刈り払いの跡は無くなり、本格的な薮漕ぎが始まった。体を起こせばザックの上が枝にひっかかり、体を横にすればザックの重量に引かれて体力を消耗した。先頭を行く池田さんに遅れまいと続いた。休みの時に左右を見やれば、左手には大ぐら尾根が高く雲の上へ、右には石転び雪渓が下から遥か上へと続くの見ることができた。晴れていれば、風景を楽しむことができただろうが、あいにくと雲の低く垂れ込める天候。雨が降らないだけよしとしなければならない。登りの途中、何度も、雪のブロックの落ちる雷鳴のような音を聞いた。
 尾根の途中の目標点であるならのき峰は、密薮に覆われた痩せ尾根状の山頂であった、下りにかかる手前の最高点部で三角点を探したが見つからなかった。点の記の現状には情報なしとあり、今回は助けにはならなかった。結局は、先へ急ぐ気持ちにせかされるままに山頂と思われる場所を後にした。昼を過ぎて、テントを張るための雪原まで行き着けるかが気に掛かるようになってきた。左右の山腹の残雪を見下ろすと、近づいてきたとはいえ、尾根上を覆うにはまだかなりの高さを登る必要がありそうであった。
 薮をかき分ける力も衰えてきた時に、尾根上に岩場が現れた。見上げるとロープが一本下がっていた。かなり古そうで細く、とても体重をあずける気にはならないものであった。重荷をかついで岩場を登ることは難しそうであった。池田さんが様子を探ると、右手から岩場を巻くことができそうであった。難所の通過のためにひと息入れた。尾根の左右は急斜面で落ち込んでいるが、潅木に覆われているために高度感はなかった。枝を掴みながら、岩場の下を慎重にトラバースした。薮をはい上って、尾根に戻った。その先で、尾根の上にも所々残雪が現れるようになった。急斜面の雪原の上に出たところで、ここをテン場にするとの指示が出た。
 雪稜をけずり、潅木の枝を刈り払って雪で埋めて、テントを張るためのテラスを作った。登ってきた急斜面の雪原の反対測は、潅木帯になっており、そちらは落ちる心配はなかった。ひと息入れて周囲をみやれば、高さを競うように倉手山が正面に広がっていた。テントに入っても、テントごと落ちるのではないかと落ちつかない気がしたが、酒がすすむにつれて気にならなくなった。早い眠りにつく頃からテントを打つ雨音が聞こえるようになった。
 翌朝雨は上がっており、テントの撤収のためには助かった。再び薮漕ぎの開始。雪原歩きの始まりもそう遠くはなさそうなのが救いであった。朝一番の難関は、垂直に近い雪壁の通過であった。直登は無理であった。残雪で覆われた沢を渡った向こうの枝尾根に回り込む必要があった。アイゼンを装着して、トラバースの準備をした。池田さんが、先頭でステップを切りながら進んでいった。沢を見下ろすと、足を滑らせばゲームオーバーになることは間違いはなさそうであった。覚悟を決めて、雪渓に足を踏み出した。薮に戻ってひと安心。こういう時には、落ちる心配のない薮を好ましく思うのだから、人は勝手なものである。
 ようやく薮を抜ける時がきた。前方には、ブナ林が点在する一面の雪原が広がっていた。ガスが掛かって上部が見えないままに、ただひたすらに高みに向かっての雪原の登りが続いた。ピッケルを突いて、左足、右足、ひと息、の四拍子。テンポはしだいにゆっくりになっていった。周囲の植生がブナからダケカンバ、ハイマツに変わっていくので、高度が次第に上がってきたことを知った。再び痩せた尾根に変わって、1830mの小ピーク。展望が開けていれば、目の前に飯豊の主稜線が広がり、大いに元気づけられるところであろうが、ガスで何も見えなかった。痩せた雪稜が現れ、右下を慎重に渡った。再び尾根が広がると、進む方向が分かり難くなった。ガスの切れ間から、高みを見つけては、その方向に進むということを繰り返した。
 視界は登るに連れて悪くなり、雨は吹雪に変わった。右手から、霰状の雪が吹き付けられるので、顔が痛くて、フードを深く下ろして歩き続けた。ホワイトアウトの状態となり、上下の感覚も失われそうになった。見えるのは、前を進む池田さんの足跡のみ。風で雪が飛ばされて石の露出した平坦部に飛び出して、どうやら主稜線に到着したようであった。クサイグラ尾根のゴールは、烏帽子岳の南西の小ピークであるが、その方向が判らない。現在位置が判らないことには、磁石の切りようもない。用意してきた赤旗を立てて、おおよその方向に歩き出したとたんに、高みに向かう斜面を見つけることができた。後で思い返すと、県境線上にある小ピークを東に巻いている登山道上に登り着いていたように思う。小ピークの上に出たところで、武田さんと池田さんが、方向についての協議。飯豊の冬山経験者にコース判断を託して、強風の中を待機した。万が一の場合には、テントを張れば良いが、この強風の中では大変だろうなと考えていた。二人の意見が合って、歩き始めた。風は左から吹き付けるようになり、左の谷沿いには潅木が頭をのぞかせていた。内心思っていた方向と合っていた。再び登りに転じ、そのピークの上に烏帽子岳の標識を見た時はさすがにほっとした。見ると、夏道も見分けることができ、雪の上に歩いた跡も見つけることができた。
 烈風吹き付ける稜線歩きとなったが、夏道を伝うことができるので、精神的には楽になった。梅花皮岳を越して、梅花皮小屋ももうすぐのはずと思いながら進んでいくと、ガスの中から忽然と小屋が現れた。梅花皮岳は、昨年新築されているが、中に入ると、きれいな小屋なのに驚いた。四名の先客がいた。すっかり氷まみれになって、小屋にあがるにも時間がかかった。武田さんと池田さんは、明日の準備のために、北股岳の山頂まで赤旗を立ててくるという。石転び雪渓から上がってきて本山への縦走の予定が停滞となっていた単独行も、北股岳のピークハントのためについていった。先客はそれぞれ小屋の中にテントを張っており、二階の片隅にテントを張ることにした。テントを張って、湯を沸かして二人の帰りを待った。
 二人が戻るのを待って、今日一日の敢闘を祝った。三時頃になってから、石転び雪渓より単独行と八名ほどのパーティーが到着したのに驚かさられた。雪まみれになって皆が上がりこんだ為に、小屋の床はビショ濡れ状態になってしまったが、この人達は、その中で銀マットを敷いた上に寝ようとしていた。濡れた衣類を着替えるようにという指示の声を聞いていると、ガスを二つたいて暖めたテントの中でぬくぬくしているのが、少々申し訳ない気がした。武田さんが、下で震えている単独行に、熱いコーヒーを持っていった。燃料も食料もアルコールも充分にあり、風の音を聞きながらも、快適な一夜になった。
 翌朝は、前日の試練を報いるかのような快晴になった。青空をバックに北股岳が、純白のピラミッドの姿を見せていた。東には、梅花皮岳が逆光の中に光り、南には大日岳が広がっていた。ゆっくりと朝食を採ってから、出発の準備。視界が利かない中での梶川尾根の下りは心配であったが、まずはひと安心。濡れた床の拭き掃除をしてから出発した。
 北股岳に向かっての登りは、体力的には苦しいものの、気分は爽快であった。昨日うった赤旗の列が山頂に向かって一列に続いていた。不要になった赤旗を回収しながら登った。白い雪の中の赤旗は、気分を高揚させる働きがあるようである。小屋からのピストン組に混じって、信州大OBの女性単独行が下ってくるのに出合った。梶川尾根を登ってきたとのことで、雪の状態もそう問題はなさそうなことを教わった。北股岳の山頂からは大展望が広がっていた。南に遠く飯豊本山や大日岳、北には門内岳への純白の稜線が続いていた。梅花皮岳の背後になって烏帽子岳は見えないが、くさいぐら尾根が落ちていく様子を目で追うことができた。苦労して登った雪原の下は、雲海で隠されていた。飯豊本山に続く大ぐら尾根にどうしても目が行くため、くさいぐら尾根はそれだけ損をしているようである。
 武田さんと池田さんは、冬山偵察モードに入って、磁石の方向をメモしながらの歩きになった。稜線上には、所々登山道が出ていた。昨日のようなホワイトアウトを考えると、広い稜線が続く飯豊では、周到な準備と慎重な行動が必要なようである。白一色のギルダ原を歩いていくと、新大山岳部の縦走隊に出会った。梶川尾根の下りでも二組に出合って、晴天に誘われるように飯豊は賑わっていた。
 門内岳、扇ノ地神と各ピーク毎に磁石の方向を確認した後に、梶川尾根の下りに移った。快適な雪原の下りが始まった。振り返ると、三条の足跡が、青空に向かって雪の上に刻まれていた。梶川峰では、航空測量の標識板のおかげで三角点を確認することができた。尾根のべろ部よりも一段下がったところに置かれていた。梶川峰直下の雪原では、北の湯の沢に向かって延びる尾根に引き込まれやすいので要注意である。三叉路直下にはダケカンバの大木があるので、この木を目印に右寄りに下る必要がある。武田さんは、その下の急斜面を気にしていたが、雪も柔らかくなって、滑落の心配もなく快適に下ることができた。下るにつれて気温が高くなり、下着で充分になった。昨日の吹雪が嘘のようであった。五郎清水付近で、残雪が大きく割れていたが、トレースを辿って、なんなく通過することができた。なかには飛び越えるところもあったので、ファイトッとかけ声をかけてみたが、一発とは返ってこなかった。滝見場下の急斜面を下ると、夏道が現れるようになった。左の雪原を伝い、鞍部から1021mピークへの登り返しになった。最後の登りでは、足がなかなか前に出なくなっていた。
 ピークの上に出て、アイゼンを外して小休止。くさいぐら尾根が、白き稜線に続いていくのを目で追うことが出来た。初日の泊まり場は、雪渓のトラバースを強いられた大きなくびれの下の平坦部と確認することができた。湯沢峰を越してしばらくは雪原下りを続けることができたが、最後は木の根や岩がうるさい夏道の下りになった。このような道となると、プラブーツは、歩きにくかった。飯豊山荘の屋根が見えても、もうひと頑張り必要であった。
 雪のおかげで、夏道よりも早い時間で梶川尾根を下ることができた。もっとも、この後で、林道歩きをもうひと頑張りする必要があったが。行きよりも、道路のコンクリート面が広がっていた。デブリの上のトレースも明瞭になっており、帰りに採っていこうかと思っていた食べ頃のフキノトウも道路脇から姿を消していた。梅花皮荘の行楽客に出迎えられるようにして、山行は終わった。
 露天風呂に入って、飯豊連峰を振り返った。新緑の向こうに、白き稜線が、山へのいざないのように白く輝いていた。次の訪問は、花の時期とすることにしようか。歩いていないコースはまだまだ残っているし、歩いたことのあるコースなら気楽に楽しむことができる。

山行目次に戻る
ホームページに戻る