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山毛欅沢山、稲子山、坪入山、窓明山


【日時】 2000年4月29日(土)〜30日(日) 前夜発1泊2日
【メンバー】 室井武雄、池田とし江、岡本 明
【天候】 29日:雨のち曇り 23日:晴

【山域】 南会津
【山名・よみ・標高・三角点・県名】
 山毛欅沢山・ぶなざわやま・1522.5m・三等三角点・福島県
 小沢山・こざわやま・1467m・なし・福島県
 稲子山・いなごやま・1606.5m・三等三角点・福島県
 坪入山・つぼいりやま・1774.2m・三等三角点・福島県
 窓明山・まどあけやま・1842.3m・三等三角点・福島県
 家向山・いえむかいやま・1526m・なし・福島県
 巽沢山・たつみざわやま・1162.1m・三等三角点・福島県
【地形図 20万/5万/2.5万】 日光/檜枝岐/内川、檜枝岐

【時間記録】
4月28日(金) 18:30 新潟発=(磐越自動車道、会津坂下IC、R.49、会津坂下、会津本郷、芦ノ牧温泉、R.118、湯野上、R.121、会津田島、R.289、南郷、内川、R.352 経由)=22:30 高畑スキー場  (テント泊)
4月29日(土) 6:25 鳥井戸橋〜6:45 発―7:49 祠―9:35 1285ピーク―10:36 稜線〜10:40 発―11:00 山毛欅沢山〜11:06 発―12:00 1436mピーク〜12:38 発―13:15 小沢山―15:17 稲子山〜15:45 発―16:18 1467西  (テント泊)
4月30日(日) 6:30 1467西発―9:00 坪入山〜9:41 発―10:51 1775mピーク―11:20 窓明山〜12:00 発―13:04 家向山分岐〜13:11 発―13:22 巽沢山〜13:30 発―13:38 家向山分岐〜13:46 発―14:19 巽沢山〜14:28 発―16:15 保太橋登山口=(R.352、内川、R.352、たかつえ温泉白樺の湯入浴、往路を戻る)=20:10 新潟着

 会津駒ヶ岳から三岩岳、窓明山、坪入山、高幽山、丸山岳、会津朝日岳と続く稜線を南会津アルプスと呼ぶことがある。かつては、観光のための縦走路が計画されたこともあったようであるが、登山道が現在整備されているのは、会津駒ヶ岳から窓明山の間と、会津朝日岳にしかすぎない。
 坪入山は、丸山岳を経て会津朝日岳、あるいは稲子山を経て城郭朝日岳に至る分岐点にあたる山である。安越又沢や窓明山からの縦走路は、現在廃道になっており、歩くとすれば残雪期を狙うしかない。山毛欅沢山は、坪入山から城郭朝日岳に至る途中の山であり、沼田街道にも近い位置にある山である。伐採によって痛めつけられているといっても、稜線近くにはその名前に相応しい美しいブナ林が広がっている。

 南会津の難しい山、台倉高山、黒岩山から孫兵衛山、男鹿岳等を案内してもらっている宇都宮ハイキングクラブの小室さんより、山毛欅沢山から坪入山への縦走の誘いの電話が入った。97年7月5日に三岩岳から窓明山まで歩き、その時に、坪入山への稜線を歩きたいと思ったと話したの覚えてくれていたようであった。二人の都合の合う時期ということで、五月連休始まりの週末ということになったが、結果的には、残雪の多い今年では良い条件が整ったようである。
 金曜日の晩の出発は忙しい。家を出るまでに時間がかかり、雨のために車のスピードも上がらなかった。檜枝岐までは地図を見るまでもない、知った道であることが幸いであった。会津田島の最終コンビニで食料とビールを買い込んだ。待ち合わせは、高畑スキー場に11時ということであった。国道から橋を渡って、駐車場で方向転換をして、ひと休みでもと思った時に、室井さんの車が到着した。今回の山行は、風邪やら用事やらで、他の参加者は池田さんのみの、三名グループになった。テントを張って、再会を祝しての一杯の後に、眠りについた。
 翌朝、下山予定の保太橋登山口に私の車を置いて、山毛欅沢山への登り口の鳥井戸橋に向かった。鳥井戸橋先の林道大原線の入口には、車が停まっていた。中から現れたのは、石岡さんであった。用事のために山行取りやめになったが、連絡が付かなかったので、ここまでやってきたとのことであった。山毛欅沢山まででもと誘ったが、このまま帰るという。石岡さんの見送りを受けての出発になった。
 鉄板を張った橋で沢を渡ると、杉林の中に踏み跡が続いていた。杉林の中の残雪を拾った後に尾根に上がると、ここにも踏み跡が続いていた。尾根沿いの登りが始まった。尾根は国道に平行に走っているため、なかなか下の集落が遠ざからなかった。一時間程歩いて石の祠を過ぎると、残雪上の歩きになった。周囲にはブナ林が広がるようになった。1285mピークに到着してひと息いれると、先行者の足跡が現れた。どうやら小立岩集落から山毛欅沢を経て登ってきたようであった。曇り空で遠望は利かないとはいえ、登るにつれて、コゴミ沢を越して山毛欅沢の山頂が目に入ってくるようになった。山頂付近は、大きく雪庇が張り出して、今にも崩れ落ちそうな雰囲気であった。稜線上に到着すると、先行の単独行が休んでいた。城郭朝日岳に抜けるということで、このあたりの山は結構登っているようであった。
 ひと休みした後に、山毛欅山に向かった。雪庇の踏み抜きを用心して林の中に入ると、雪を踏み抜く状態になり、先が思いやられた。幸い歩き難かったのはこの付近だけであった。山毛欅沢山の頂上は、雪庇が大きく張り出し、一段下がった所での登頂になった。今日の泊まり場は、稲子山を越した所ということで、先はまだ長かった。雪庇とブナ林の間の雪の回廊を辿る快適な歩きが始まった。風が冷たく感じられたため、雪壁の下の日溜まりで、昼食の休憩をとった。ブナの芽も膨らんで赤味を増し、芽吹きも近づいているようであった。
 小沢山はそう大きなピークではなく、登りはたいしたことはなかったが、その先には、大下りの後の稲子山への登り返しが待ちかまえていた。ブナ林の中の下りから眺めると、稲子山の東面は、雪崩状に雪面が崩れており、険悪な姿を見せていた。登りの町界尾根は、雪の急斜面になっていた。頂上手前では、雪庇が張り出しており、そこの通過が難しそうであった。一歩ずつ足元を確保しながらの雪原の登りが始まった。近づいてきた雪庇を見上げると、尾根の延長線部だけにオーバーハングが無くなっていた。室井さんは登れるという。室井さんが、トップで、足場を切りながら登っていった。続いて、私の番。ストックを充分さしこみながら登り、少々恐い思いもしたが、雪庇を越すことができた。池田さんも登ってきて、一同の無事にひと安心。
 稲子山の山頂は、登り着いた所から、北に少し進んだ所にある。最高点の北側に回り込むと、高幽山と丸山岳が目の前に並んでいた。次はあのピークへと皆で話し合った。山頂部へ登り着いた分岐に戻り、南西に延びる尾根に進んだ。小ピークを越した先の台地状広場が泊まり場になった。ブナ林に囲まれた、気持ちの良い所であった。
 3名グループでテントには余裕もあり、ゆったりと眠ることができたのだが、明け方近くなって、寒さに目を覚ました。テントの外に出ると、満天の星空が広がっていた。眉のように細い月の明かりが、雪原にブナ林の陰をつくっていた。放射冷却のために冷え込んでいるようであった。
 快晴の朝になった。テントを撤収し、お世話になった泊まり場を後にした。ブナ林に囲まれた雪の回廊を進めば、アイゼンが気持ちよく雪面に食い込んだ。坪入山に向かっての高度差のある登りが始まった。坪入山でも雪庇の張り出しが気になったが、近づいていくと、尾根の合わさる部分だけ雪庇は無くなっていた。坪入山の山頂部は、ブナに代わって、オオシラビソに囲まれていた。西側斜面に出ると、青空をバックに高幽山と丸山岳が輝いていた。
 青空のもと、周囲の展望を楽しみながらの稜線歩きになった。越後駒ヶ岳、中の岳、荒沢岳、平ヶ岳といった越後の山もすぐそこに見えた。窓明山への登りでは、雪庇の縁を避けるためにオオシラビソの林の中に入らなければならなかったが、踏み抜きが多くて苦労した。木の枝には、エビの尻尾が延びており、枝をかき分けると煌めきながら周囲に飛び散った。
 二度目の窓明山山頂になった。山頂からは、三岩岳の眺めが大きく広がっていた。縦走路を振り返れば、山毛欅沢山は遠くなっていた。山頂の雪原に腰を下ろして、ビールで乾杯。後は下るだけで、時間にも余裕があった。
 窓明山から家向山への夏道は、笹原の中の切り開きであったが、スキーゲレンデのような一面の雪原になっていた。雪原にそれぞれの足跡を刻んで、一気に下った。家向山への登り返しは、足にも疲れが出てきた。家向山の山頂は登山道から僅かに離れており、夏は薮で閉ざされている。ついでに家向山の山頂にも寄っていくことにした。山頂からは、稲子山を良く眺めることができたが、雪の割れ方も大きくなっているようであった。登ったのが、今日のような暖かい陽気ではなくて良かったということであろうか。
 窓明山までの登山者がおり、トレースが付いて、下山の心配はいらなくなった。ブナ林を楽しみながら雪原を下っていき、巽沢山で最後の小休止。その下から夏道の歩きも出始めた。最後は丸太の段々の設けられた急な尾根を下って、保太橋登山口に下り立った。
 車の回収を行い、たかつえ温泉白樺の湯で汗を流して山行の締めくくりとした。
 

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