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烏帽子岳


【日時】 2000年4月9日(日) 日帰り
【メンバー】 峡彩ランタン会会山行日帰り隊(7名グループ)
【天候】 晴

【山域】 川内山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 烏帽子岳・えぼしだけ・679.9m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/粟ヶ岳
【ガイド】 LATERNEvol.5、新潟の低山薮山、登山ML13326、13511

【時間記録】 6:00 新潟発=(北陸自動車道、三条燕IC、R.289、大谷地 経由)=7:05 会越産業駐車場〜7:30 発―8:13 288m点―10:09 赤松山―11:21 烏帽子岳手前鞍部〜11:26 発―11:51 烏帽子岳肩〜12:01 発―12:20 烏帽子岳〜13:44 発―13:49 烏帽子岳肩―14:04 烏帽子岳手前鞍部―14:55 赤松山―15:43 288m点―16:10 会越産業駐車場=(R.289、嵐渓荘入浴、下田、R.290、加茂 経由)=19:30 新潟発

 会越国境と新潟平野の間に広がる川内山塊の南西部の入口に笠堀ダムがある。烏帽子岳は、この笠堀ダムの北岸に聳え、スラブをまとった急峻な山である。「烏帽子」という名前に相応しく、台形の一方の端を高く持ち上げた姿をしている。低山ながら、その特徴のある姿から、周囲からも良く目立つ山になっている。地元では、「かしがり山」と呼ばれているようである。

 99年11月14日に白根山に登り、正面に聳える烏帽子岳に魅せられ、いつか登らなければと思った。メーリングリストでの吉田さんの報告によって、笠堀ダムから烏帽子岳の山頂へ尾根沿いに踏み跡が続いていることを知ったが、このコースは雪の消える季節までは無理であろうと思っていた。
 峡彩ランタン会の会山行で、粟ヶ岳から白根山への1泊縦走が組まれた。出迎え隊という名目で、烏帽子岳に登らないかという誘いが上村さんから入った。平成八年三月九・十日、渡辺茂夫さん、渡辺葉子さん、佐藤一正さん一行が、白根山への冬季縦走に利用した赤松山を経て烏帽子岳に至る稜線沿いのコースを使うということであった。山行記録を読むと、登攀用具を用いて大変な山行であったようだが、春の残雪シーズンに入っていることから、なんとかなるだろうと思って付いていくことにした。
 土曜日とは異なり、快晴の日になった。新潟からは、平田さんの車で、上村、諸橋、岡本の計4名が出発し、三条燕ICの出口で、高橋、斎藤、五十嵐さんと合流した。下田村を通り過ぎる頃からは、烏帽子岳の山頂が見え隠れするようになった。次第に近づいてくる丸味を帯びた結構高い山が、赤松山のようであった。通過点と考えていたのだが、そこまで登るのも結構大変そうであった。さらにまずいことは、道路周辺の山腹には、雪が無くなっていた。上村さんがいうには、二週間程まえに佐藤一正さんが、白根山の偵察を行って、その時には雪たっぷりだったとのこと。雪解けが一気に進んだようである。
 会越産業に車を乗り入れて、空き地の奥に車をとめた。ワカンは置いていくことになった。ストックよりはピッケルの方が良いと言われたが、自分の車の中に置いてきてしまった。2本ストックでなんとかすることにした。
 親沢を左岸に渡る必要があるため、空き地の入口まで引き返して尾根に取り付いた。尾根上にはかすかな踏み跡はあるものの、薮こぎの連続になった。薮はなかなか進めず、ひと汗かいて左の谷間を見下ろせば、停めた車がまだ下に見えた。ようやく、烏帽子沢が分かれる二俣を見下ろす288m点まで進み、その先の残雪が広がった林の中でひと休み。赤松山の山頂が、右手前方に高く見えるようになった。山の斜面には雪が付いている所もあり、少しは楽をすることができそうであった。稜線は、緩やかに右に方向を変えながら赤松山に近づいていくが、登りに取りかかるところで、雪に覆われた窪地が現れた。谷向こうの白根山へ続く稜線の上には、真っ白な粟ヶ岳の山頂が姿を現し、烏帽子岳の山頂も目に入ってきた。このまま休んでいたくなるような気持ちの良い所であった。上村さんは、ここを「粟見平」とでも名付けて、宴会をして引き返そうかと、本気ともつかない冗談を言っていた。
 雪の斜面の真っ直ぐな登りが始まった。キックステップが気持ちよく入り、背後には高度感のある眺めが広がるようになった。雪原の尽きるところから急な尾根の薮漕ぎが始まった。所々、踏み跡のようなものがあるのは、カモシカのつけた獣道なのか。鉈目は全く無かった。尾根の頂稜部を外れると、斜めになった木の枝が抵抗をまして、進めなくなった。傾斜が緩むと、痩せた稜線伝いが始まった。融け残りの残雪は、体重を乗せると、ブロックごと落ちそうな所もあり、木の枝を掴みながら慎重に歩く必要があった。この付近には松が多く、赤松山の名前も、ここらから付けられたのだろうか。もっとも、山頂部には松は無かった。山頂の西端からは残雪が続き、僅かな歩きで、赤松山の山頂に到着した。
 目の前に大きく烏帽子岳が聳えていた。烏帽子岳から稜線は大きく下り、二つの小ピークを越した後で、烏帽子岳の山頂めがけて一気に上っていた。鞍部越しの山は、実際以上に高く見えるものだが、赤松山まで登れば、後は楽勝かと思っていたのは間違えであった。雪原の縁に進んで下降点をのぞくと、出だしがかなりの急斜面になっていた。上村さんがお手本とばかりに、ピッケルを思いっきり差し込んで、バックステップで下っていったので、ストックを逆さまにして差し込みながら下った。雪が柔らかく、ストックを思いっきり差し込むことができて、二本のストックを支えにできるので、ピッケルでなくとも、不安は感じなかった。後続の人達は、おっかないということで、ロープをたらして、自己確保しながら下ってきた。鞍部の雪原まで下って、ひと休み。その後の、小ピークの通過にも苦労した。最初のピークの岩場は、左を巻いて通過。次の岩場は、稜線通しに進んで、右に降りることができた。稜線上には松の木が生えており、ザックがひっかかって、すり抜けるのに苦労した。最後の登りは、急斜面の薮漕ぎになった。枝が逆走で、体を持ち上げるのに体力を消耗した。
 空が見えてきて、薮を抜けると、烏帽子岳の山頂まで続く雪稜に出た。薮の中でもがいていただけに、青空と雪原がまぶしかった。上村さんが追いつくのを待って、山頂に進んだ。苦しい一歩ずつであったが、近づいてくる山頂は喜びであった。雪の上には、新しい踏み跡があり、笠堀ダムからの登山者があったようである。山頂西よりの広場が、三角点の置かれている場所のようであったが、その先の方が僅かに高いようなので、東の縁まで進んだ。短い区間であったが、両脇が切れ落ちている所もあり、雪稜を慎重に通過した。
 烏帽子岳の山頂からは、遮るもののない眺めが広がっていた。快晴の青空をバックに残雪の山々が取りまいていた。目の前には白根山が、西に長い尾根を横たえていた。その向こうには、真っ白な粟ヶ岳。一本岳の下には、雪崩の跡も見えた。青里岳と矢筈岳が横に並び、その右手には光明山への稜線。南には守門岳が大きかった。足元には、笠堀ダムが青い湖面を広げていた。眺めを充分楽しんだ。
 縦走隊とも無線連絡がとれた。縦走隊は、快調に進むことができて、休み休みでも、すでに白根山を通過した二重稜線上にいるという。こちらも休まなければならないので、縦走隊にはもう少しゆっくりしていてもらうことになった。西の広場に戻って、待ちかねたビールの乾杯となった。皆のザックからは、飲みきれないほどのビールが出てきた。
 縦走隊の車の回収のために、1時半に下山に移った。急いで下山する必要があったが、赤松山への登り返しや薮漕ぎで、そう簡単に下山はできそうになかった。烏帽子岳からの下りの薮漕ぎは、枝をかき分けるのに苦労はしたが、登りよりは短い時間で済んだ。中間の小ピークを慎重に通過すると、続いて赤松山への登り返し。これが最後の登りと思って頑張るしかなかった。ともかく、車の回収を行うために、高橋さんと二人で、急いで下山することにした。コースは微妙に方向を変えるが、登りの時に赤布を付けてきたので、順調にコースをたどることができた。約束の4時には、駐車場に縦走隊が休んでいるのを見下ろすことができて、オーイを声をかけることができた。少し遅れたが、縦走隊に出迎え隊が出迎えられた。大木さんが顔を見せており、こちらがひと休みしているうちに、縦走隊の車の回収のために車を走らせてくれた。少し遅れて、日帰り隊も無事に下山。烏帽子岳の山頂で飲みきれなかったビールを出して、一同で乾杯した。
 新しくできた下田の日帰り温泉は満杯のようということで、越後長野温泉嵐渓荘で入浴することになった。1000円と高いが、秘湯を守る会の温泉旅館で、気持ちの良い温泉に入ることができた。

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