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丸山


【日時】 2000年3月5日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 蒲萄山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 丸山・まるやま・394.8m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/勝木/勝木
【ガイド】 ランタン通信205号

【時間記録】 6:40 新潟発=(R.7、蓮野IC、R.113、荒井浜、R.345、神林、R.7、 経由)=8:40 中津原〜9:06 発―10:29 アンテナピーク肩―10:38 鞍部―10:52 370m北東ピーク―11:14 丸山〜11:29 発―11:44 370m北東ピーク―11:53 鞍部―12:02 アンテナピーク肩―12:05 中継基地〜12:10 発―12:12 アンテナピーク肩―12:50 中津原=(往路を戻る)=15:10 新潟着

 村上の北側から山形県境に近い勝木まで、日本海に沿って広がる蒲萄山塊は、蒲萄川によって、その北端部が切り放された形になっている。その山塊の中には、烏帽子岳、丸山、ジャ林山の三山が地図に記載されている。丸山は、地図に名前が載っており、三角点が置かれているという以外には、そう特徴のあるピークではない。

 昨年から蒲萄山塊のピークハントを続けてきたが、丸山を登り残していた。機会をうかがっていたのだが、残雪あるいは薮コギの時期には、他の山に目がいって、延ばし延ばしになっていた。気になるピークは他にも多いが、一つずつ片づけていくしかない。
 曇り時々雨の予報で、前日の夜は雨であったので、山登りのテンションも低下していた。朝起きてみると晴天が広がっており、絶好の登山日和になっていた。最初からこの予報が出ていれば、この週末の予定も変わっていたのだが。せっかくの晴天に文句をいったらバチがあたる。今日は、こよみの上で啓蟄とのことであるが、春めいた空に、白い衣をまとった山々が浮かび上がった。途中、山の写真を撮りながら、車を走らせた。
 丸山の登山口は、中津原の集落となる。中津原洞門の手前の、国道脇の大きなパーキングに車を停めた。勝木川にかかる橋を渡って、中津原の集落に入った。地元のおじさんと目が合ったので、挨拶をして、「丸山に登ってきます」と告げた。「こんな雪で、とても登れないよ。」と、除雪で盛り上がった道路脇の雪の壁をさしながら、不審そうな顔つきをした。「ダメなら無理をしないで戻ってきますので。」と言って、先に進むことにした。集落の裏山に登ろうとする時に困るのは、このような登山者に対する不審顔である。遭難されたら地元が迷惑するというような、大きな理由があってのことではなく、ただ、こんな雪の中を山に登ろうとする者がいるとは想像もしていないというだけの話であろう。里山は、歩き出しに気をつかう。
 集落内の道を真っ直ぐに進んでいくと、除雪区間の終わりのすぐ上が墓地であった。雪の上に這いあがって、ワカンを付けた。墓地の間を抜けるように、道形が続いていた。高い気温で、雪の状態が心配であったが、ワカン歩きはしやすい状態であった。上村さん達の記録を見ると、墓地の脇を通って杉林に入ると電力補修の標識柱があり、これを辿るように書いてあった。しかし、雪のためか標識柱は見つからなかった。前方に尾根が落ち込んできていたが、道形は尾根を回り込んで先に続いているようであった。巡視路を辿るのは無理と判断し、ともかくこの尾根を使うことにした。杉林の中をしばらく登った後に、尾根に上がった。標識柱が頭を出しており、一応コースには乗っているようであった。ひと安心もつかの間、幅広の尾根を登っていくと、横に広がった急斜面にぶつかり、道形があるのかどうか判らなくなった。標識柱は見つからず、ビニールテープが木に巻き付けてあるのも植林作業のためかもしれず、あてにならなかった。道があるとしても、ジグザグに切ってあるはずで、とにかく高みを目指すことにした。
 急斜面を登り終える手前で、左足のワカンの爪先側のベルトが外れたことに気が付いた。平らな所に上がって、ワカンを見ると、フレームに渡してある前方のベルトが切れていた。まさかベルトが切れるとは思ってもおらず、点検をしていなかったのはうかつであった。ワカンが無ければ歩ける状態ではなく、ここからの撤退でさえも苦労しそうであった。しかし、構造を良く見ると、付属のリングはそのまま残っており、ロープを巻けば、修復可能なようであった。幸い、雑用にロープを2m持ってきていた。固定リングを通して、フレームにぐるぐる卷きにすれば、応急処置ができた。歩いた感じは問題無さそうなので、登山続行することにした。ワカンにロープを巻き付ければ、スノーシュー並みに沈み込まないようにならないかなと思っていたのだが、まさかこんな形でロープを使うことになるとは思わなかった。
 杉林の上部からは、雑木林のヤセ尾根が続いていた。この取り付きは急斜面であったが、応急修理のワカンでもステップを切って登ることができた。雪の上にはカモシカの足跡がそこかしこに付いていた。稜線が近づくに連れて、右手の谷向こうの尾根の上にアンテナが見えるようになった。尾根の上には、潅木が広がって、ここには道はないようであった。稜線に登り着いたところで、山行記録のコピーを読み返すと、上村さん達一行は鞍部に登り着いたようである。ここはどう考えても、アンテナピークの肩であった。帰りに、中継基地を確かめにいくと、ほぼ水平に数分の距離であった。
 稜線上には、切り開きが続いていた。せっかく登ってきたのにと思いながら坂を下って鞍部に降り立つと、標識柱が見つかった。巡視路は、左手の谷間から上がってきたようである。杉林の広がる谷間は、傾斜もそうなさそうであったが、知らない山の谷間に入る訳にもいかず、積雪期の登り方としては間違ってはいないはずである。
 続いて、杉林の中の急な登りになった。370mの小ピークに上がって、二つ目のピークで稜線は西に方向を変えた。これと似た雰囲気は前にもと思ったら、隣の烏帽子岳であった。小ピークをひとつ越すと、丸山への最後の登りになった。
 丸山の山頂は、そう広くない切り開きで、雪の上に測量の紅白棒が頭をのぞかせていた。木に縛り付けられているようで、雪解けの隙間から覗き込むと1m以上の深さがあるようで、三角点を掘り起こすのは諦めた。吉祥岳や城ヶ峰、三条山が近くに見え、隣の烏帽子岳が木に邪魔されているのが残念であった。遠く朝日連峰が、春の陽光に白く輝いていた。先週の烈風の白山山行が遠い昔のように思われる山頂であった。
 雪道の下りは早い。要所に赤布を付けては来たものの、ワカンの足跡が目印となって、迷う心配も無かった。鞍部からそのまま下ってみようかという誘惑にかられたが、登り返して、尾根を忠実に下ることにした。中継基地に寄ってみると、手前の黄色い建物は、NST、TNN、NT21、奥の白い建物はNHKとBSNの中継所であった。眼下に遠く見えていた集落も、雪道を下るに連れてみるみる内に近づいてきて、山歩きは終わった。

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