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石高城山、大古原山、薬師山


【日時】 2000年2月13日(日) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 晴

【山域】 白山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 石高城山・いしたかじょうやま・168.5m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/加茂
【ガイド】 なし

【山域】 白山周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 大古原山・たいこっぱらやま・181.8m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/加茂
【ガイド】 なし

【山域】 下田周辺
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 薬師山・やくしやま・262.7m・四等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 新潟/加茂/加茂
【ガイド】 なし

【時間記録】 6:20 新潟発=(R.49、茅野山IC、R.403、新津、加茂、黒水 経由)=7:25 七谷コミュニティーセンター〜7:35 発―7:45 西尾根取り付き―8:16 石高城山〜8:22 発―8:26 北東鞍部―8:31 林道―8:37 西尾根取り付き―8:48 七谷コミュニティーセンター=(R.290、下高柳 経由)=8:55 南尾根取り付き〜9:00 発―9:30 大古原山〜9:40 発―9:56 南尾根取り付き=(下高柳、R.290、西山 経由)=10:07 西の峠〜10:12 発―10:42 送電線鉄塔(新中線67)―11:06 250ピーク―11:17 薬師山〜11:30 発―11:34 作業道終点―12:06 国道―12:13 西の峠=(七谷コミュニティーセンター入浴、往路を戻る)=14:10 新潟着

 石高城山は、加茂川右岸にあり、黒水の薬師山と向かい合う山である。この山の麓には、粟ヶ岳登山の帰りの入浴場としてファンも多い七谷コミュニティセンターがあり、その駐車場から谷の奥に石高城山が顔をのぞかせている。

 大古原山は、宝蔵山から流れ出る高柳川が加茂川に合流するところの山である。山名の大古原山は、漢字ではもっともらしいが、読みは「たいこっぱら」である。深皿を伏せたような姿をしており、「太鼓腹」のもじりかもしれない。

 2万5千分の1地図「加茂」には、新潟県内でもっとも多くの山名が記載されているが、その中でも「薬師山」は、黒水の190m峰と、R.290沿いの西山集落の南東に位置する262.7m峰の二つがある。西山・薬師山は、低山揃いの「加茂」の山の中では、猿毛岳に次ぐ高さを持っている。しかし、宗教的な名前が付けられているにもかかわらず山腹は皆伐状態で、無惨な姿をさらしている。

 連休三日目、ようやく晴れ間がめぐってきた。いささか不完全燃焼気味であったので、少し早めに出発した。連休で山にも人が入っているはずで、五頭山や菅名岳のポピュラーな山にも気持ちが引かれたが、この連休の山としてリストアップしておいた山の予定が果たせないでいたため、昨日からの続きを行うことにした。
 まずは、石高城山。この山は、周囲を丘陵が取り囲んでおり、西面だけが開いており、そこに七谷コミュニティーセンターがある。この施設は、沸かし湯ではあるが、100円と安く、粟ヶ岳あるいは宝蔵山からの下山時には、利用価値の高い入浴施設である。ただし、石鹸から用意をする必要がある。駐車場に立つと、谷間の正面に、石高城山が聳えるのを眺めることができる。下山後に入浴するにもかかわらず、この山を最初にもってきたのは、昨日の薬師山の隣の山ということと、浴室の位置関係があった。山に向かおうとすると、施設の裏手に回り込むことになり、浴室を窓越しに覗き込むようになりかねないことであった。しかも女風呂は、手前の角にある。里山に登ろうとする時、村人から不審な目で見られることが多いが、風呂場のぞきでつかまってはかなわない。
 早朝とあって、駐車場には誰もおらず、落ちついて山の支度をすることができた。駐車場から雪にうもれた水田に足を踏み入れた。用水が横に走っていたが、農道にかかる橋で渡ることができた。施設の裏手に回ると、土手状の土盛りがあり、一応は目隠ししてあるようであった。もっとも、ワカンを履いてのぞきをする者もいないか。地図に記入されている石高城山の南に回り込む破線は農道で、雪道の歩きになった。当初の計画では、西尾根は急なため、南の尾根を使うつもりでいた。歩いていると、見覚えのあるピンクのテープが現れた。昨日の薬師山や猿毛岳で、登山コースを示すために付けられていたものである。この山にも登山コースが整備されているのだろうか。地図には記載されていないが、西尾根下から北に回り込んでいく林道が分かれていた。この林道を示すようにピンクのテープが付けられていた。道があるならそれを登ろうと思って、この林道に入ったが、その先のテープは、近くには見あたらなかった。小さな山なので、北に続く尾根に上がってから大回りで石高城山の山頂に到達するようにコースが整備されている可能性も考えられた。あるかどうか判らない登山道を探すのも、この雪の中では大変である。
 テープに惑わされたが、西尾根を登ることにした。一段登った杉林から、雑木林の尾根の登りが始まった。潅木の間に隙間があり、登るのにはそう支障はなかった。急斜面なので、一歩ずつ雪を踏み固め、枝を掴んで体を持ち上げるといった登りが続いた。次第に、七谷コミュニティーセンターが眼下に低くなっていった。昼間であったら、登っている姿が、施設から丸見えになるかもしれない。肩部に出ると、傾斜は緩くなり、山頂への詰めになった。左から上がってきた尾根に乗ると、そこにはピンクのテープの列が続いていた。この尾根は、切り開かれて、登山道として整備されているようであった。右に登ると、僅かで石高城山の山頂に到着した。測量の紅白棒が雪原に突き刺さっていた。薬師山や猿毛岳、粟ヶ岳や白山を良く眺めることができた。
 南の下り口にもテープが付けられていた。さて、下山は、どのコースをとるか迷った。南のコースは農道に出るのは間違いはなさそうなので、北のコースを辿ってみることにした。テープに導かれて、ほどほどの傾斜の尾根道を下った。やはり整備されている道は歩きやすい。緩やかに右に曲がって、160ピークとの鞍部に下りて、登り返しがあるのかどうかと周囲を見渡すと、幸いに、北の谷間に向かって下っていた。窪地を下ると、杉林の中に出て、作業道の歩きになった。西に方向を変えるように下っていくと、林道に飛び出した。
 こちらのコースから登ろうとするときは、このような案内になるだろうか。西尾根下から北に分かれる林道がある。この林道が杉林の中でジグザグを切り始める手前に、右に作業道が分かれるのでこれに進む。右上に低く稜線が見えたら、この鞍部をめざして登ると、後は稜線上の道になる。
 林道に出ると、ピンクのテープは無くなった。ここまで歩かないと、登山道があるのかどうかは判らなかったようである。雪道を戻ると、自分の付けたワカンの跡に出合って、予想通りとはいってもひと安心。
 続いて、大古原山に向かった。この山のコースとしては、北側の下高柳からの尾根か、南の県道宮寄上加茂線脇からの尾根が、考えられる。点の記によれば、下高柳の善興寺から歩き出すように書いてあるが、道路脇からすぐ歩き出せるということから南尾根を使うことにした。
 南尾根の取り付き部には、路肩が広くなって、車を起くことができた。山際には、いくつもの石碑が置かれていた。その脇から杉林の中に踏み跡が続いていた。少し進んだ所に、排水孔の設けられた、湧き水のような窪みが現れた。ここに通じる踏み跡なのかもしれない。歩きやすい杉林の中を進むと、尾根が横切るようになったので、これを登って、南尾根の上に乗った。ここからは潅木の中の歩きになった。はっきりした切り開きは無かったが、そう煩わしい薮はなかった。ひさしぶりに青空が広がり、雪は凹凸に合わせて空色の縞模様を描き、山も色彩を取り戻した。杉林が現れるとそこが山頂であった。山の北側には杉林が広がっているようであった。杉林の中に、測量の紅白棒が立てられていた。ここにもというべきか、ピンクのテープが付けられていた。下高柳からの北尾根沿いに、登山道が整備されているようであった。もっとも、北斜面は杉の植林地になっているので、雑木林の薮が煩わしくない積雪期には、登ってきた南尾根の方が歩いて気持ちが良いかもしれない。杉林の中は薄暗い感じがしたので、潅木の中の日溜まりに腰をおろしてひと休みした。
 大古原山の点名は大久保であり、点の記には、俗称大久保とも書かれている。どこで、大古原山の名前が生まれてきたのか。「たいこっぱら」とは、太鼓腹をもっともらしく書き改めたものなのか。中年おじさんが揃っていれば、「たいこっぱら」をさらしての記念写真も悪くはないかもしれない。
 車に戻って、続いて西山の薬師山をめざした。R.290沿いにあり、比較的標高もあるが、取り付きやすい。点の記には南の水田部から南尾根を登るように書いてあるが、少しでも高い所からと思って、西の峠部分から歩き出すことにした。路肩は雪に埋もれており、路上駐車になった。雪に覆われた水田を横切ると林道が現れた。これを横切って雑木林を登り、南から上がってきた尾根に出ると、東に向かう踏み跡があった。これを進むと杉林に出たので、左上に向かって登っていくと、再び作業道。この作業道を左に進むと、峠からお尾根に出て、作業道は終わりになった。尾根道の薮漕ぎわずかで、立派な道に飛び出した。見ると、尾根の下と上に送電線の鉄塔が立ち、これは送電線の巡視路のようであった。薬師山の山頂が、谷向こうに広がっていた。山腹は皆伐状態で、ジグザグに作業道が白く浮き上がっていた。良い道が現れたので、後は楽勝と思って先に進んだ。鉄塔の手前で道は二つに分かれた。尾根沿いは、鉄塔への道に間違いはないとして、トラバース気味の道が奥に続くものと思って、この道に進んだ。しかし、これは、僅か先で終点になっており、鉄塔めざして薮を登るはめになった。
 予想は外れて、鉄塔の先には道は付けられていなかった。もっとも伐採は、稜線上まで及んでいたので、潅木もまばらではあった。谷を大きく巻くように、稜線は続いていた。気温が上がったためか、足が深くもぐるようになり、時折、伐採時の倒木でできた空洞に落ち込んだりして、ペースの上がらない登りになった。北の小ピークを越すと、最後の登りになった。
 薬師山の山頂部は、広場になり、南面の展望が広がっていた。ただ、加茂丘陵地帯には、目立ったピークは無かった。東には、袴腰山が、いかめしい姿を見せていた。残念なのは、粟ヶ岳と白山方面の眺めが、木立によって、邪魔されていることであった。枝の間から透かし見ると、これらの山々は真っ白に輝いていた。ここでも測量の紅白棒が雪原に突き刺さっていた。雪原に腰をおろして、ひと休み。
 この山頂には、ピンクのテープは無かったが、西の下り口に、片面赤の銀テープが付けられていた。登ってくる途中からも作業道が付けられているのを見たことから、西尾根を下ることにした。潅木の中にテープの列が続いた。僅かな下りで、作業道に降り立った。ここからは、作業道の歩きになったが、大きなジグザグを描くため、歩く距離は長かった。途中で、何本もの作業道が分かれ、下山の時は良いとしても、ここを登りに使おうとする場合には、正しい道を辿るのは、至難の技のように思えた。水田に降りたって、これを横断すると、国道に出ることができた。この水田入口から尾根沿いに林道が始まっており、送電線の鉄塔へは、ここから入ることが判った。車を置いた峠に戻る途中、送電線の下に、巡視路の標識が立っているのに気が付いた。
 準備しておいた山を終え、雪道にすっかり草臥れたことから、七谷コミュニティーセンターで風呂に入って山を終えることにした。
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