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景浦岳


【日時】 2000年2月5日(土) 日帰り
【メンバー】 単独行
【天候】 曇り

【山域】 蒲萄山塊
【山名・よみ・標高・三角点・県名】 景浦岳・かげうらだけ・176.6m・三等三角点・新潟県
【地形図 20万/5万/2.5万】 村上/笹川/笹川
【ガイド】 新潟のハイキング(新潟日報事業社)ふるさとの散歩道(新潟県観光協会)

【時間記録】 7:20 新潟発=(R.7、蓮野IC、R.113、荒井浜、R.345、神林、R.7、勝木、R.345 経由)=9:36 笹川〜9:45 発―9:54 ススキ沢分岐―10:05 松ヶ峰―10:11 後山―10:20 景浦岳〜10:24 発―10:31 板貝峠―10:49 板貝―11:24 笹川=(R.345、村上、R.7、七社、紫雲寺、聖籠IC、R.7 経由)=14:30 新潟着

 蒲萄山塊の日本海の海岸線には、笹川流れと呼ばれる奇岩の連なる景勝地が広がっている。この中心地の笹川から板屋の間の海岸線に沿った丘陵部に、「笹川流れ遊歩道」が整備され、松ヶ峰、後山、景浦岳のピークを結んでいる。

 蒲萄山塊には、昨年来かなり足を運んだが、それでも幾つかのピークを登り残している。そのひとつの丸山をめざしたが、村上を過ぎると、国道脇の路肩に雪が高く積まれ、木々の枝には白く雪が積もった状態になった。新潟市は雨であったのが、このあたりでは雪に変わっていたようである。オープン中の蒲萄スキー場を横目に、雪に覆われた蒲萄山塊を走り抜けた。丸山の登山口となる中津原について山を見上げると、山肌は新雪で覆われていた。雪も柔らかそうで困難な歩きになりそうであった。あっさりと計画変更し、これも気にかかっていた景浦岳を目指すことにした。
 日本海の海岸線が近づくにつれて、雪はみるみる消えていった。笹川流れの海岸線を南下する頃には、枯れ草色の山肌とコバルトブルーの海を眺めながらのドライブになった。遊歩道の北端の板貝を見送り、笹川にまず回った。車の走行メーターによれば、板貝と笹川の間は、1.8kmあった。笹川の海岸端の駐車場に車を停めた。夏には海水客や観光客で賑わう所であるが、人影は見あたらなかった。
 遊歩道の標識に従い、笹川の上流に進んだ。木の橋があるが、これは畑に続く道のよう。少し先にコンクリート橋があり、右岸に渡ると、朽ちかけた遊歩道の看板が立っていた。この遊歩道は、整備されてからかなり時間が経っているようである。
 2001年までに、中部北陸自然歩道として新潟県内には43コースが設けられる予定である。県北部には、A1「日本国ロマンの道」と、A2「瀬波温泉赤松のみち」があるが、笹川流れ一帯は、公共機関使用の連絡コース扱いになっている。笹川流れは、海岸部のウォーキングを楽しむことができることから、入っているものと頭から思いこんでいたが、予想が外れていた。もっとも、鄙びた山道を楽しむというには、今のままで充分ともいえるのだが。
 山の斜面に作られた畑の脇を抜けて、一旦海の方向に引き返してから、高みに向かっての登りになった。結構急な登りが始まった。インフルエンザが流行しているが、今週は鼻づまりが続いており、体調が充分ではないようである。ひと登りしたところで、ススキ沢分岐に出た。右の尾根沿いは、「松ヶ峰15分 沖見平18分」。直進は、「沖見平15分、松ヶ峰20分」とあった。ガイドブックは持ってきておらず、地図には沖見平や松ヶ峰といった名前は書かれていない。どちらを通っても景浦岳に抜けることはできそうであったが、松ヶ峰と沖見平の関係が判らなかった。とりあえず、右の尾根沿いの道を選んだ。もどってからガイドを読み返すと、直進して、沖見平から松ヶ峰に抜けるのが、景浦岳への順路になることが判った。二者選択のミスによって、笹川流れの眺めの良いという沖見平を通過しないことになってしまった。
 雑木林の中を登っていくと、朽ちたベンチの置かれた小ピークに登り着いた。標識は無かったが、ここが松ヶ峰のようであった。海を眺めながら、尾根沿いの道を進んだ。続いてのピークは、後山。木立に囲まれて展望は無かった。遊歩道一般は、草がはびこりはじめて、木に葉が付いている時は、周囲の眺めは得られそうもなかった。歩いているうちに、東に烏帽子型の山が見え隠れするのが気にかかってきた。後山からは、一旦下りになり、地形の関係か、道を10センチ程の雪が覆うようになった。雪の上には、点々と、犬かキツネかタヌキの足跡が続いていた。新潟周辺で、2月の厳冬期に、ラッセルの心配もなく山歩きを楽しむことのできるこのコースは、貴重である。続いて登り詰めたピークが景浦岳である。標高はたいしたことはないが、海岸部から持ち上がっている山なので、標高が正味の高さとなる。登山道脇の最高点に上がると、ヤブの中に三角点があった。
 続いての目標は、笹川からの沢沿いの道が合わさる板貝峠であった。通過困難な海岸部を避けて、笹川と板貝を結ぶ内陸部の古くからの道の峠とすれば、歴史的な風情がただよっているだろうと期待したのだが。実際には、送電線の電柱が立っているだけの殺風景なところであった。緩やかに下っていくと、伐採地の縁に出て、板貝川沿いの谷間を見渡せるようになり、その奥には先ほどから気になっていた烏帽子型の山が聳えていた。山の半分近くまで伐採が進んでいたが、目を引く姿をしていた。今回は、「笹川」の地図しか持ってきていなかったが、板貝川沿いの林道の先から尾根に向かっての破線が鉛筆で記入され、「蒲萄」に続いていた。この山が、高倉山であることに気が付いた。この山については、上村さん一行が、平成11年1月31日に登って報告している。かつては地形図には名前が記載されていたが、現在は579.3mの三角点表示だけになっている悲運の山である。尾根の具合を良く眺めることができた。思わぬ偵察行になり、高倉山の登頂の気分が高まった。少し雪がしまった頃に挑戦することにしよう。
 杉林の中を下っていくと、石の水槽に清水が流れ込んでおり、これが地蔵清水のようであったが、お地蔵さまのようなものは無かった。この付近には遊歩道に倒れかかった杉の倒木もあり、あまり整備の手は入っていないようであった。畑の中を抜けると、板貝側の遊歩道入口に飛び出した。古びた看板があったが、これがなかったなら畑への作業道と見分けのつかないところであった。
 国道に出ると、その角には、松の一刀彫りで作られた男性器の形をした「さいの神」が奉られていた。ゴム製のブイが二つ吊らされているのが、海辺の里ならではのご愛敬であった。
 海風はつめたく、山頂では脱いでいた帽子と上着を着込むことになった。日本海冬景色を楽しみながらの歩きになった。この区間は、トンネルが連続し、笹川流れの中でも、一際風景の美しいところである。車で通り過ぎるだけでなく、歩いてみるのも一興である。幸い、トンネルの中は、歩行者用に一段高くなっており、車の心配はいらなかった。笹川までの1.8kmは、苦にはならない歩きであった。

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